着物計画

発端は、夏休みの予定だった。
8月の親子一泊旅行の予約をいれたのは、4月下旬である。
そんなに早くから予約をしなくても、という私に、母は主張。
先の楽しみを決めておくと、その日に向かって待つ期間も、楽しめるのだ、と。
実は私、いまだかつて、そんな考え方をしたことがなかったのである。
妙に、筋が通っていて、新鮮な発想だ....と、とても納得してしまった。
この新鮮な発想を、私もどこかで実用化していきたい、と無意識下で思っていたのかもしれない。
ふと、今年の私の誕生日って、何曜日なんだろ?とカレンダーを確かめたところ。
日曜日だったのである。
社会人になってから、私にとって「平日の誕生日」は、楽しみどころか、不安にかられる日となっていた。
平日である限り、仕事をしている。
仕事をしている限り、日中に嫌な出来事が起こる可能性があるのだ。
誕生日に、そうなっちゃったときは、哀しいことこのうえない。
私が「平日の誕生日」の朝、願うことは、頼むから今日は、嫌な出来事が起こりませんように、だって誕生日なんだから、ということ。
もしもそれが、「休日の誕生日」とくれば。
仕事がない以上、嫌な出来事が起こる可能性はものすご〜く減る。
うれしい、今年は休日の誕生日なのだっ。
せっかくだから、母を見習って、なにか楽しい予定を入れるのはどうだろうか?と思いつく。
誕生日は11月。
さて、何をしよう?と考えていたら。
突如、思いついた。
着物を着よう。
誕生日に、自分で着物を着て、出かけよう。
ということは、誕生日までに、外面的にも内面的にも、着物に関する準備をしていくことになる。
着物、という発想がひらめいたのは、たぶんさまざまな要因が作用する。
イメージコンサルティングで、グレースタイプと診断されて、グレースは、最も着物が似合うタイプなのだ、と教わったこと。
もしも本当に自分に似合うのなら、着ることなく終わってしまうのは、なんだかもったいない気もした。
それから、最近読んだ本が、着物は着物でも、ふだん着の、木綿の着物を推奨していたこと。
ふうん、そういうタイプの着物の楽しみ方もあるんだ、と、着物に対する見方が少し変わった。
はっきりと言語化できない、おぼろげな要因も、まだまだあるような気がする。
着物は、私にとって未知のもの。
それだけは、はっきりしている。
未知のものに、アプローチしていくときの、方法は、たぶん人それぞれ違う。
私なりの着物へのアプローチの仕方も、未知である。
未知のものを相手にしたときに、自分がどうやってアプローチしていくかって、実は自分では検討がつかないのである。
というわけで、これから着物に近づいてみることにした。