和のリトルブラックドレス

リトルブラックドレス。
1926年にシャネルがつくった。
それまで黒は、未亡人かメイドが着る色だったのを、最もおしゃれでフォーマルな色に変革してしまったシャネル。
以来、リトルブラックドレスは、すっかり一ジャンルとして定着。
ちなみに、きものの世界では、黒は、留袖か喪服の色で、ハレとケの二大巨頭フォーマルの色である。
黒地をカジュアルなきものに使いたい場合、黒一色はありえず、ほんの少しでも柄が入っていなくてはならない。
などということを知らないままの私が、ネットで注文した、黒字にベージュの点線の細縞が入った、伊勢木綿のきものが8月上旬に届く。
予想していたとおり、遠目に見れば、ほぼ真っ黒なきものだ。
パーソナルカラーが冬の私なら、絶対に似合うはず。
羽織ってみようかな、と思って手にとろうとするが。
きものは、畳んである。当然だが。
たしかきものは、洋服とちがって、特有のたたみ方があるはず。
そして私は、たたみ方をまだ知らない。
そこで、大々的に広げるのはやめにして、できるだけ記憶にとどめておけるように、たたみを一箇所ずつひらいていき、おそるおそる羽織ってみる。
鏡を見ると。
.........。
なんか、想像よりも、もっさりして見える。
ボリューム感もあって、実際、布も重たかった。
これじゃ、洋服のほうがよほどすっきりして見える。
ちゃんと着付けていないせいかなあ。
いくら冬のパーソナルカラーの鉄板、黒といえども、洋服と同様の感覚でいてはいけないのかも。
黒の伊勢木綿を羽織った私は、もっさりに加えて、迫力がありすぎたのである。
理由はなんとなくわかる。
きものって、身体のほぼ全面を覆うデザインなのだ。
加えて、巨大なベルスリーブともいうべき、たもとまで付いている。
女性の黒の洋服のワンピースやドレス、つまりリトルブラックドレスのデザインは、肌見せスペースがとられている。
上半身が覆われていても、脚が見えているとか、足先まで長さがある場合でも、胸元があいているとか、ノースリーブとか。
そういう肌見せスペースをつくるから、黒を着ても、圧迫感や迫力が出すぎ、ということにはならない。
だけどきものの場合、肌見せスペースがどこにある?
もしかして。
きものにとっての、リトルブラックドレスの肌見せスペースは、帯になるのではないだろうか。
しかし、黒に負けない、迫力のある帯を締めたとして、圧迫感は緩和できても、迫力はいっそう増すのでは。
考えてみれば、留袖も喪服も、迫力と圧迫が必要なドレスなのだ。
留袖は、黒地に金糸銀糸の豪華な帯を締め、さらに迫力を出し、喪服は黒い布にさらに黒い帯を締め、沈みきった世界、喪の圧迫感を強調する。
留袖も喪服も、個人ではなく、集団で着るものである。
集団で、ハレとケの迫力をつくりだし、参列者は「場の色」をつくりだす役目をも果たすのである。
とはいっても、私、とりあえず、ちゃんと黒の伊勢木綿と、手持ちの、すもも色が入った献上柄の名古屋帯をちゃんと着て、様子を見たいな。
しかし、おりしも、時期は8月上旬、盛夏。
暑さに立ち向かいながら、きものを着る練習をする気力はなかった。
2時間の着付け体験レッスンを受けた衣装らくやでは、随時日時指定予約をして、2時間の個人レッスンの申し込みができた。
レッスン内容も、個人の希望に応じてくれる。
今度は、手持ちの着物と帯で着付けを教わることにしよ、と8月下旬の日を予約する。
帯を合わせて黒の木綿のきものをちゃんと着たとき、私はまた、新たな発見をすることになるのだ。