「ときめき」より「違和感」

秋めいてきた今朝、黒のテーラードジャケットを着てみた。
とたんに、違和感が起こる。
オーソドックスなデザインのテーラードジャケットは、グレースタイプ向きのアイテム。
なので私は、似たような黒のテーラードジャケットを、二枚持っていた。
なのに、去年までは全くなかった違和感がある。
二枚のジャケットを、とっかえひっかえ、着てみた。
二枚目のジャケットは一枚目のジャケットほどの、違和感はない。
二枚のジャケットは、微妙にデザインが異なるけれど、ぱっと見、ほぼ区別はつかない。
それでも、今年、微妙な差が現れた。
モノを捨てる基準は、そのモノを手にしたとき「ときめき」を感じるかどうかで判断すればよい、と、ベストセラー本にあったけれど。
私の場合、モノと別離する基準は、「ときめき」ではなく「違和感」かもしれない。
一枚目のジャケットとは、別離するときがきたということかな。
とはいえ、二枚目のジャケットも、今日着ていくものではない気がして。
結局、この夏のバーゲンで、イメージコンサルティングの先生に選んでもらった、長め丈の山羊皮のノーカラージャケット(テーラード型を衿なしにしたようなデザイン)が落ち着いた。
2012/10/31の「ソフィアのジャケット」の記事で、ソフィア・コッポラがジャケットをめったに着ない理由のひとつは、ジャケットは流行が如実に現れるアイテムだからでは、と書いた。
流行もそうだけれど、「自分の変化」も如実に現れるアイテムなのだろうか?
年齢や、身体つきなどの外面の変化だけではなく、考え方や経験値などの内面の変化も。
「違和感」という基準は、着るものに限らない。
二年前、突如、自宅の室内の飾り物に、違和感が起こった。
壁とクローゼットの扉に貼ってあったウォールデコシールをはがし、三枚あったファブリックパネルのうち、一番派手な一枚をはずした。
以前より殺風景になった室内。
でも、そのほうが落ち着いた。
ちょうど、イメージコンサルティングを受けて丸一年が経過した頃だった。
着るものに対する見方、考え方が、インテリアに対する感じ方にも影響を及ぼしたに違いないと思う。
もしかしたら「違和感」は「ステップ」の合図かもしれない。
違和感が起こったら、ステップを一段あがらなくてはならないときだと告げられている。
こどもだったら「成長」といえるかもしれない。
大人だったら・・・「老化」と呼ぶには違和感があるから、せめて「ステップ」で。