無駄なデザイン?

着物について、学び始めたとき、最初に私が感動したのは、着物の平面図である。
プラモデルを組み立てる前に、パーツが平面上に並んでいるようなイメージ。
着物でそれをやると、あの太巻きのような反物を広げた布地、つまりは長方形になる。
長方形を縦と横に切り取って、襟の部分、袖の部分、背中の部分、と組み合わせ、縫い合わせると、着物になる。
無駄な部分が、ほぼない。
まるで、リートフェルトの椅子「レッド&ブルーチェア」!
実は、二週間前にも着物をきた。
リサイクルショップで買ったばかりの「菊の帯」を締めたかったからである。
菊柄だから、真冬も、ましてや春夏も季節はずれ。
ということは来年の秋まで締められないってことでは!
この晩秋に、一度くらい締めよう!という思いに駆り立てられたためである。
目先の欲に駆られる度合いは、年齢とともに薄れていると思っているが、私まだまだ、機会逸失には、弱いなあ。
出かける日に初めて帯を締めたため、ああでもない、こうでもない、と帯と格闘し、合計二時間半かかったあげくに出立。
着物コート類は持っていないので、ストールを羽織っていく。
ふうん、着物って、下半身より、上半身が寒い。
特に、腕。
袖口から風が入ってくるのだ。
腕の防寒対策はアームウォーマーがいい、と聞いたので、後日アームウォーマーを探してみよう、と決める。
洋服は、袖の形は基本的に腕に沿っているから、こんなことはないと思うが、着物の袖のベルスリーブっぷりは、ぱっと見、無駄なデザインに思える。
ただあの「着物の平面図」をイメージすると、この無駄なように見える袖のデザインが、その他の多くの無駄をなくしている、と気づく。
和裁の技術が、洋裁ほどに特化するレベルではなく、かつては家庭内での仕立て、仕立て変えが可能だった、つまり、仕立ての人件費が不要。
無駄な布がほぼ出ないということは、無駄な布の廃棄・処分作業もない。
布を見れば、仕立て上がりのイメージができるから、布そのものに対するデザインもしやすいはず。
おおざっぱにとらえると、「仕立て」の部分を統一化・固定化しておいて、製作者、着る人は、その他の部分、布地そのもののデザイン、コーディネートの楽しさに集中できるのである。
長い目、というより遠い目で見た無駄を省く、近視眼な無駄が着物の袖なのだ。
帯を締めるときに、手前にてろん、と垂れてくる長い袖に、イラっと感を刺激されつづけている私であるが、そんな自分を戒めよう。