映画:ブリングリング 私的メモ:追記

「ブリングリング」をソフィア・コッポラ作品の魅力である「私室化」が撮れていないからつまらなかった、と前記事に書いて、しばらく経ってから。
いや、この映画は、もはや私室をも持たない少年少女が主人公だったんだ、と気がついた。
自分の私室を作ろうとしない、求めようともしない彼らは、一時的にセレブの私室を借りにいき、セレブの私室の断片(服、ジュエリー、腕時計など)を持ち帰る。
自分の私室を持つより、そのほうが手っ取り早いし、最高級の物質で満たされた私室である。
自分で私室をつくる必要はない、というより、自分の私室を持とう、つくろうという欲望が、ない。
フェイスブックに掲載映えするのは、非日常的な日常生活。
それを手にしているのはセレブリティ。
セレブの生活の断片を盗んでくれば、自分のフェイスブック上で光る宝石となる。
部屋は心の鏡、というけれど、私室自体が他人の部屋、虚構の部屋なら、そこにあるのは虚構の心だ。
彼らがアップするフェイスブックの記事は、虚構の輝きできらめいている。
「私室の中の孤独」を体現していたソフィア・コッポラ作の主人公たちは、私室から出ていった。
「私室をも持たない孤独」を抱えて。
私室を持たない若者たち、の行く末は??
訂正。「ブリングリング」は、つまらない作品ではなく、次のステップに進んだ作品である。