趣味の形

ふと思った。
趣味って、英語で何て言うんだろう?
調べてみると、主に、2つの英単語に翻訳されるようだ。
ひとつはtaste。つまり好み。
もうひとつはpleasure。つまり道楽。
日本人が、趣味は何ですか?と問う場合、たぶん後者の意味を指しているような気がする。
というか、この翻訳っぷりからして、英語圏では、日本人ほどには「趣味」に独立した意味を持たせるほど重要視していないような気もする。
突如、こんなことを考え始めたのは、冬休み中、着物について母とのやりとりがあったとき、私への母のこの言葉に、ぎょっとしたためである。
「これで趣味が出来たね!」
……。
私は何もリアクションが出来なかった。
たとえば私、一年間に映画館で百本程度の映画を見つつ、そのうちの70%の映画については鑑賞後の所見を記す、ということを楽しんでいた時代が十年間くらいはあったんだけど、それは趣味とは言えない、ってことか。
思い出したのは友人のエピソード。
その友人は、高校生の頃から今までずっと、特定のイギリス文学の作家や、個人の好みに会った映画を楽しむのが趣味で、プライベートは、その関連情報収集と所見を記すのに忙しい。
かつては、海外の情報を収集すること自体に制約があったから、一部の情報の獲得自体あきらめる場合もあったけれど、WEBがツールとして機能している今の時代、情報の獲得手段が向上したぶん、可能な収集情報量が増加して、その収集作業と消化作業に忙殺されているありさまである。
休日は、ダウンロードして集めたひいきの俳優が出演している未見のイギリスのテレビドラマと、アマゾンで買った小説の原書がたまっていて、それを見たり読んだりしなきゃいけなくて、最近目が痛くって、という状態の友人に、なにも自分の身を削ってまで打ち込まなくても…と内心思う私である。
ところが、そんな友人に向かって、友人の父は、趣味を持て、と言うんだそうだ。
友人の父の趣味は陶芸、母の趣味は日舞、弟の趣味はバンド活動。
その家族にとって、友人自身が持つ「趣味」は、趣味のうちに入らなかったらしい。
というよりも。
自分が同じようなシチュエーションに遭遇してみて、解った。
友人の父も、私の母も、「自分が理解できる範囲内にある趣味」を子は持っていない、ってことだったのだ。
もし「趣味」を個人の道楽、娯楽、という意味ととらえるとする。
そこには、アウトプット型娯楽と、インプット型娯楽があるように思う。
読書が趣味、と答える場合は、明らかにインプット型娯楽だ。
読書によって、変容するのは、その人間の内部であって、読書を始めたとたんに、何か具体的に目に見える変容が現れるわけではない。
でも、料理が趣味、着物をきるのが趣味、という場合は、できあがった料理、仕上がった着物姿、という明らかな変容が現れる。
友人の父も、私の母も、趣味というのはアウトプット型娯楽しか、考えられなかったわけね。
インプット型娯楽は、趣味じゃないというか、そういうことが娯楽として成立するということ自体が、理解できないのかも。
母にもわかる趣味を持つことができて、娘としては良かったのだ。
そう思うことにしよう。