主演、助演、エキストラ、富士

なぜか、小さな発火点に、いくつも逢った先週末。
発火点から、連想すること、いろいろ。
どこから書こうか悩みつつも、書いてみる。
二週間前の週末、江戸東京博物館の大浮世絵展に、出かけた。
大浮世展は、大混雑。
各展示品の前に、ぶあつい人垣が出来て、絵に近寄ることができない状態を前に、がんばって着物で来ていた私は、十分間で、鑑賞をあきらめた。
「みんな、そんなに浮世絵見たいっ?!」と内心で毒づきながら…。
そう毒づいて、ふと、そうだ、浮世絵が見たいなら、もっとこじんまりと、ゆとりを持って鑑賞できるところに行けばいいんだよね、と気が付く。
ラフォーレ原宿の裏に佇む、常設浮世絵展示館、太田記念美術館の展示内容をチェックしてみる。
すると、1月の展示は「富士山の浮世絵」だ。
お正月らしくて、いい♪
先週末、着物をきて、太田記念美術館へ。
場内には、富士山が出演している浮世絵ばかり。
出演ぷりも、主演、助演、エキストラといった感じで、どーんと画面を貫かんばかりに主役をはっている構図もあれば、画面の遠景の端に、小さくちょっとだけ富士山が出演しているものもある。
メインは風景画、風俗画、美人画でも、画内のどこかに富士山が出演しているだけで、富士山が画題となる作品の系譜のひとつとなる。なんか、ブランドマークの刻印みたい。
館内に掲示されていた説明に、「世界遺産の正式な登録名称は「富士山−信仰の対象と芸術の源泉」」とあるのを読み、この富士山の画題っぷり、何かに似ている…と気が付く。
そうだ、イエスとマリアだ。
西洋絵画の代表的なモチーフ。
まっとうに主演させた絵画もあれば、画面の端のほうに小さく聖書の1シーンを描いた風景画なんかもあったはず。
現代の女性の装束をまとったマリアの姿などもあるはず。
画家が本当に描きたいものは別のモチーフであっても、絵の中のどこかにイエスやマリアや関連事象が出演しているのって、画題としての富士山の活用ぶりに、似ている。
などと考えながら鑑賞の足を進めていたら、富士山が画題の世界的名作、葛飾北斎富嶽三十六景」の「神奈川沖浪裏」が現れた。
つづく。