だてマスク

ネット上のニュースで「だてマスクが増殖中」という記事を目にする。
インフルエンザ感染の危険があるわけでも、風邪をひいているのでも、花粉症でもなく、さまざまな事情で自分の顔を見せたくない場合に、顔を隠す用途にマスクを使うことである。
私もちょうど、今年一年、一人で外を歩くときはずっとマスクをしてみようかな、と思っていた。
だてマスクを、内面的な問題、対人機能の問題の現れとまで警鐘する意見もあるようだ。
私の場合、もっと単純。
顔を見せて歩いていると、通りすがりの人にブスって言われるんだもん。
マスクをしていても言われたことがあるが、マスクをしたら絶対に目をふせないこと、目をあげて歩くこと、という点を気をつけるようにしたら、マスクをしているときは、言われなくなった。
もちろん、仕事中や、知人と会っているときはマスクはしない。
それから、ひとりで外を歩くときでも、着物をきているときは、マスクはしない。
着物をきていると「着物」の情報のほうが強烈みたいで、顔をチェックする態勢に入る間もないか、自分には理解できないものとして、チェック対象からはずすみたいだ、たぶん。
今のところ1名だけ、着物をきていても「ブス!」と言われたことがあるが。
(ミッドタウンの野外イベント会場の四隅に立っていた、係員の一人から。ミッドタウンとは関係のない、一時的な職務でそこにいた人だと思うけれど)
以前は、通りすがりにブスと言われる事態に対して、自分の側の外面や内面の態勢を変えようと思っていた。
でも、最近はこう思うことにした。
ブスと言う側に、センスがない、と。
骨董品でも、本でも、映画でも、音楽でも、センスがない人に対しては、それらを提示すること自体、しないはずだ。
センスがないってことは、わからないってことだから、わからない人には、見せても無駄だし、と見せる試み自体、しないはずだ。
だから、私の顔だって見せなくってもいいや。
「通りすがりにブス」という言動は、言う側は何も傷つかず、言われる側は深く傷つく。
知人にブスと言うことは、言う側もリスクとそれによって生じる人間関係上のダメージを負うが、通りすがりの他人に対してなら、リスクもダメージもない。
一方的にダメージだけを与えられる。ほんと卑怯。
ブスって言われたときに、自分の心にどう言いつくろっても、論理立てをしても、反射神経ともいえる、凹みからは逃れられない。
だから、センスがない人には見せない、でいいや。
こんな特殊な理由で、だてマスクをするのは私くらいかもしれない。
と、ここで別の出来事が連想にひっかかってきた。
つづく。