だてマスク その2

前回の続き。
「だてマスク」に関して、私が連想したのは、約十年前の、友人の言葉だった。
当時、私の勤務先では、ある事業部の営業職社員全員に、会社都合による退職勧告をする事態になっていた。
そうなってしまった発端は、その数年前に、その営業職の歩合給の計算の仕組みを変えたことによる。
歩合給の計算の仕組みを厳しくした?
いや、逆だ。
甘くしたのである。
例えると、それまでは、歩合給10万円を得るためには、商品を10コ売らなくてはならない仕組みだったとすると、それを7コ売ればいい仕組みに変えた。
と、同時に、商品そのものの単価も、3割減の価格にしたのである。
商品の単価を下げた時点で、赤字増加は確実だと思うのだが、安くした分、商品がたくさん売れるし、営業も、歩合給を改定したことでやる気がでて、全体として売上が上がるはずだ!というのが、制度を決定した上の人の意見だった。
しかし、結果は違った。
「10万円得るために必要な売上商品数」を10コから7コにすると、どうなったか。
売上商品7コの時点で、その月の営業活動を終了しちゃう人が大多数だったのである。
そういうシチュエーションに置かれた場合、大多数の人間が、一定の報酬を得るために、最小限の労力しか提供しなくなる、ってことである。
売上商品数そのものが減った上に、商品単価まで下げていたから…。
当然赤字は増加の一途をたどる。
歩合給の仕組みを変えてから7年ほど後、営業職社員そのものがなくなるという事態になったのだ。
友人との夕食の席で、この話をした。
すると、友人はひとことこう言った。
「その人たち(営業職社員)のためと思ってやったことが、結局その人たちの首を絞めることになったんだね。」
そう、まさに。
この言葉が、なぜ「だてマスク」につながるかというと。
私の場合は、通りすがりの見知らぬ人から「ブス!」と言われるのにいいかげん辟易したので、だてマスクをすると決めたのだけど。
もちろん、そんなことをするのは私だけかもしれないけどさ。
そのうち、往来を歩く女性がほぼ全員、だてマスクをするようになったらさ。
通りすがりの女性に、好き放題にブス!と言ってきた(主に)男性たち、それは望ましい事態なの?
隠されるほうが想像が働くからそのほうがいい、という趣味の男性もいるかもしれないけど、全体として、楽しみは減るんじゃないの?
通りすがりの女性に「ブス!」と吐き捨てていく行為は、自分にとって快感だからそうしていると思うけど、それって実は、自分たちの首を絞めていることにならない?
…なんて、連想したのだ。
もちろん、他人の批判ばかりはしていられない。
我が身をふりかえって、自分に良かれと思ってやっていることが、実は自分の首を絞める行為につながっていることはないか、私もチェックしたほうがいいのかも。