BOOK:小島慶子著「解縛 しんどい親から自由になる」

以前、雑誌で小島慶子のコラムを数本読んだことがある。
共通した印象を持った。
この人はどうしてこんなにいつも怒っているんだろう?と。
タイトルの著書の内容は、書店で目にしたときに、もしかして、と予想したとおり、全編を「怒り」が貫いていた。
しかり、怒りというのは、こんなに魅力的なファクターになるものなのか。
きらきらと燃え上がる炎のような怒り。
ジャンヌ・ダルクのような、何かに憑かれたような怒り。
そのように激しい怒りの渦のすぐ下にある、精神の危うさ。
小島慶子は、人の「無意識」を読み取ってしまう人である。
その人本人も自覚していない感情を、性(さが)のようなものを、瞬時に読み取ってしまう。
無自覚の罪を糾弾しても、贖いは得られないのに。
幼い少女さえも、女のずるさ、したたかさを無意識に備えていることを、小島慶子は見抜く。自分自身が幼い少女であるときに。
小島慶子の視線の的は、常に女である。
それは別に、女の集団内で、男の賞賛や愛情を巡る戦いに身を投じているわけではない。
おそらく小島慶子の中では、男は女より下位の生きものとして固定され、憎悪することはあっても、戦う相手ではないのだ。
だから戦う相手は(主に)女である。
女の集団の中で、生物的にも社会的にも精神的にも上位の者であるべく、涙を流しながら、戦ってきた手記。
小島慶子の目と精神を通した描写には、五感の繊細さが滲み出してきて、この人、だいじょうぶなのかなあ、と心配になる。
いや、だいじょうぶじゃなかったらしい。不安障害や摂食障害を煩っている。
今は克服できているとのことだが、やっぱり心配になる。
この本で、小島慶子というひとりの人間の思考のありよう、精神のありようを堪能した。
その青い炎のように澄んだ怒りと、鋭敏な感受性を、自分自身や、他人に向ける刃とはせず、創作の力へと昇華できますように。