顔の判断基準

以前、サウジアラビアクウェートなどのオイルダラーな国は、国自体が潤っているので、国民の社会保障がとびきり手厚い、と聞いた。
以下は、裏づけなど何もしていない、私が断片的に知った情報をもとに書いたものにすぎない。
税金なし、医療費はタダ、住居などの生活にかかわる物資も、望めば適度に支給され、教育も大学まで学費がタダ、大学生は職による収入がないから何かと物入りだろうと、別途手当て金まで支給されるとか。
それってまさに、日本の今の若者が望み、要求している状態だと思う。
でも。
生活費も教育費も医療費の心配もしなくて済む、という世界に置かれたとき、そこに人は、どんな幸せを、欲望を、娯楽を求めるのだろう?
その点に非常に興味を持ったのだった。
スポーツや芸術も、収入のためというより娯楽として取り組むらしい。
働かなくてもじゅうぶん生活できるのだから、わざわざ医師や看護師になろうという人もいなさそうな気がする。
どうやら、医師などの高度な技術者も含め、産油国で働いている人々は、産油国ではない、他国からの出稼ぎが多いらしい。
そんなことを考えていたころ、ちょうど、アラビア語会話の講師と、エジプト支局勤務経験のある新聞記者ふたりによるアラブの春に関しての講演会があって、講演会には必ず質問タイムが設けられるはずだから、そこで聞いてみよう!と思って出席した。
講演の後、期待通り質問タイムが来た。
講演の内容を聞いていて、たぶん私の質問はふたりに聞くには畑違いで、ヒンシュクを買う可能性が高いな、と思ったけれど、今の私が接触できる範囲内の生身の人間でもっとも質問内容に近い人間には違いない、恥をかいても聞くんだ!と心を決め、質問。
生活も教育も医療も無料で手にしているオイルダラーな国の若者たちは、何を望み、何を欲望するのか?
予想通り、それは当事者じゃないと答えられない質問で私たちに聞かれても...と困惑した様子。
しかし、講演者のフェイスブック上の知り合いの様子から察するに、国に保障をもらっている以上、国に対して文句は言えない、非難するような感情を他国の人に訴えることはできない、国(王族)側も、これだけの保障をしてあげているんだからわかってるよね?という心理的な関係性が伺えるとか。
というわけで、やはり私の疑問の答えは、見出せなかったのだが。
他の人から、アラブには上層と下層という極端な格差がある出自の若者どうしが大学で出会うことがあるだろうけれど、その出自って、周囲には何かの材料で分かってしまうものなんですか?という質問の答えが新鮮だった。
「顔です!」
講演者はそう答えた。
「私たちは、顔を見れば、上層階級の人間か、下層階級の人間かがわかります!」
それってすごく第一次的な情報…。
衣服でも、持ち物でも、趣味でも、話す内容でもない。
顔を見ればわかる、と。
それ以上その内容が掘り下げられる時間はなく、講演は終わった。
私は、疑問の答えを得られず、また新たなナゾをもらって帰った。
顔を見ればわかる、ってどういうことなんだろう?
たぶんそれは、美醜ということではない。
その人の生きた時間、記憶、環境、思考が顔に現れるということ。
以前、私は未経験だが、文楽の生の舞台を見に行った知人が、
人形の動きは見事だけど、もともと人形師の方って「いいお顔」をしていらっしゃる方が多いから、人形より人間を見てしまうことがあるのよね〜と言っていたっけ。
「いい顔」の判断基準は、「美醜」でも「カワイイかどうか」でも「若いかどうか」でもないだろう、きっと。
その3つの判断基準がとかく用いられているのが、女性の顔だ。
かくいう私も、その判断基準に捕らわれて自らを苦しめているのだとしたら、苦しむこと自体、無意味かも。
アラブのセレブの顔、人形使いの顔。
なにが「いい顔」なのか、判断基準は山のようにあるはずだから。
自分に未知の判断基準を見つけていくこと、増やしていくこと、が、いい顔探し、いい顔づくりのコツかもしれない。