映画:ブルージャスミン その3

前記事からのつづき。
年賀状の差出人住所に新住所を書いたので、住所不明が理由で、彼女からの年賀状が途絶えたわけではない。
そのとき私は、それまで住んでいた東京23区内で住民平均年収が最下位の区から、トップの区へと引越したのだった。
そうしたのは、別に私がなんらかのサクセスをしたわけでは露ほどもなく、病気をして人生で始めて全身麻酔の外科手術をしたのが理由といえば理由で、さまざまな要因や調査や考え方やインスパイア事項があった末の選択で、虚栄ではなく実利で判断した選択であって、その経緯を物語るだけで15本分くらいの記事の量になってしまうので語らないが。
今のところ、住所を述べて驚かない人は皆無だが、人が想像するような、住居でも生活でもまあったくない、本当に。
驚く相手に、いえ、小さくて古〜い住居で、セレブな生活とは無縁なんです!と説明するのにいつも必死だ。
ただ、年賀状しかやりとりのない間柄の彼女が、私の口頭による弁明もなくこの住所を目にしたとき、私の生活に対して同じような誤解をしてしまうかもしれないだろう、とは想像できた。
誤解をしたとき彼女が私に対して持つ感情は、嬉しさよりも....どちらかと言えば憎さだろう。
もしも私の住所が、一部のマニアックな世界でしか通用しない、おお、すごいその住所!と賞賛されるマニアックな住所(どんな世界のどんな住所か例えが思いつかないが)であれば、彼女からの年賀状は途絶えなかったと思う。
ところが、彼女が「その当時の世間の評価でエリート・一流とされているものに重きを置く」という価値観を変えていなければ、私の住所は、まさに彼女の価値観を貫き、ほぼ最上位にランキングされるものだ。
私そのものは、美人女子大生だった彼女から見れば、女としても社会人としても、自分より下位ではあっても、決して上位の存在ではなかったのだと思う。(たとえ私が職による収入を得ていても、エリート職でもなければ高給でもないという点で、上位ではないのだ。でも高給エリート職じゃなくったって、働きつづけるってだけでもけっこう大変なことなんだよ〜)
その私が、彼女の価値観上での、上位の要素をひとつでも手にしたと思っただけで、自尊心が傷つくだろう。
でも現実の生活は違うってば。住所なんて表層だよ、表層。
内実ではない、表層のアクセサリーだよ。
…と訴えても「表層のアクセサリー」そのものに人生の価値を置くに等しい彼女には通じないかも。
はい、非常に非常に長い前置きだったのだが、ここから映画「ブルージャスミン」の話に関連していく。
彼女とジャスミンは、節目節目の行動が妙に一致するのだ。
つづく。