映画:ブルージャスミン その4

前記事からのつづき。
私の友人とジャスミンの一致点。
上流な雰囲気の美人である。
生活手段が危機に見舞われたとき、職を探すのではなく、まず学校へ行く。
名前を変えている。
困難に見舞われたとき、他者(周囲の人々、環境、名前)に非があると考える。
物事の価値を主に表層で判断する。
自分の価値観にそぐわない環境に置かれたとき、価値観は変えず、精神を病む。
.......
ジャスミンは、リア充から非リア充に堕ちる。
転落に当たり、まず行ったのは「名前を変える」ことである。
ジャスミンは新しい名前。
名前とは表層。
表層を変えるという発想は、表層に価値観の重きを置いている人間ということである。
大学を中退して、セレブな夫と結婚したジャスミンは、働いた経験がない。
面白いのは、ジャスミンが大学で何を専攻していたか、が二度、話題になることである。
ウディ・アレンが脚本をも手がけているのだから、わざわざ二度出すほど大事な情報ということであって、無視できない。
ジャスミンの大学の専攻は「人類学」だった。
人間関係が破綻しているか、スムースに機能していないジャスミンに対して、この皮肉な設定。
学問・教養として人類をとらえる、ということは、リアルな人間と向き合うのではなく、人間の表層の情報に向き合うという姿勢を示しているような気がしてならない。
妹の家に身を寄せたジャスミンは、自分の職探しに当たって、インテリアコーディネーターになる、と言う。
ネットでインテリアコーディネーターの資格取得講座があるので、そのためにまずネットそのものの学習講座に行く、と決める。
妹や妹の周囲の人々は、何でそんな回りくどいことをせずに、直接インテリアコーディネーターのリアルな講座に通わないの?と問う。
通わない。ジャスミンが求めているのは、見栄えのいい表層のアクセサリー、「職業・インテリアコーディネーター」という肩書きであって、内実(インテリアコーディネートの仕事そのもの)ではないから。
セレブ生活の遺物であるシャネルジャケットやバーキンバッグ、ネーム入りのヴィトンのトランクを持ち、さまざまな贅沢品の知識や社交経験を持つジャスミンは、それらの表層の情報が幸いして、セレブ生活へ再帰する糸口を掴みかけるが…。
名前、住所、住居、職業、夫、友人、食べ物、贅沢品、贅沢な社交、レジャー。
これらはみな、ジャスミンにとって表層のアクセサリー。
しかし、表層のアクセサリーの質と量に価値観を置いてしまう危うさといったらない。
表層は、消失や低減や劣化が明らかに分かるものだから。
価値観が危うくなれば、精神を危うくもするだろう。価値観そのものを変えない限りは。
映画では、ジャスミンに並行して、ジャスミンの妹の生活模様、恋模様も描かれる。
アカデミー主演女優賞、助演女優賞を受賞した、二女優が演じる姉妹の行く末は、相似形なのか異形なのか。
それはこれが一応、映画の紹介の記事である以上、明かさないのが約束。
ひとつだけ言及。ジャスミンと妹の違い。それは、価値観のフットワーク。
追記。
ジャスミン役のケイト・ブランシェットの、作中の着こなしを見ていると、グレースタイプではないかという気がした。
あまり装飾要素のないシャツやブラウスやニット、身体にタイトなデザインなのにドレープの類がいっさいなく、かといって身体の肉もいっさい拾っていないワンピースなどなど。
加えて、とても薄い、淡い色が似合う女優さんなんだなあ、と見とれることしばしば。
髪も瞳も肌も色素が薄い人で、衣服の色も薄くして全身を淡いトーンでまとめている姿は…ロード・オブ・ザ・リングのエルフそのままの妖精なイメージだ。
黒のパンツや赤いカクテルドレスの着衣姿が登場するシーンもあるけれど、濃い色の服だと強すぎて浮いてしまう感じ。
シャネルジャケットの色が白地だったのも、うん、黒やビビッドカラーのシャネルジャケットじゃ、ケイトに絶対似合わないもんね、と納得したのだった。
不必要なまでに長く綴った映画感想、終わり。