ジュリアに学ぶ上品見せテク

先週、BSで「ノッティングヒルの恋人」が放映。
1999年の公開時と、その後のDVD鑑賞とで、計4回は見たはずだけど、好きな作品なので十五年ぶりにまたも見ていると。
4回見ても、私にまったく見えていなかったものが、どんどん見えてくる・・・。
この映画の見ものは。
「いかにしてジュリア・ロバーツを上品に見せるか」を使命とした、演出とファッションだったんだ。
ニコール・キッドマンを上品に見せるのは簡単すぎると思うが、それが簡単ではないジュリア・ロバーツを対象とすることで、「上品見せテク」とは何かという点を掴むには、非常にわかりやすい。
上品に見せたければ、自分を、動的ではなく、静的にすることだ。
静的ってどういうことかと言うと。
言葉数が少ない。
動きが少ない。
発生音が少ない。
髪形、服装において、極力、曲線のラインを排除する。
肌見せを控えめにする。
って感じ。
動的はその反対になる。
激しい動きのほうが似合い輝く俳優と、逆に静かな動きのほうが映える俳優がいると思う。
前者を動的な俳優、後者を静的な俳優とすると、ジュリア・ロバーツは動的美女の代表とも言える女優である。
その魅力がとてつもなく発揮されたのが出世作プリティ・ウーマン」。
しかし「ノッティングヒルの恋人」のヒロイン、アナは、ほぼ正反対。ネガとポジのような役柄。
ついでに言えば、この二作、役柄の立場も男女で逆になっている。
シンデレラ婚と、逆シンデレラ婚だもの。
上品ヒロイン・アナに見られる、上品見せテク。
まず言葉数が少ない。男の言葉の多さに比して、なんという寡黙さ。(かと思うと唐突に男にキスする大胆さ)
笑い声を滅多にたてない。基本アルカイックスマイル。
表情に大きな変化がない。基本は、口元に微笑をたたえたままの表情。
ファッションも、上品な着こなしテクが色々。
デニムのジーンズにキャミソールというカジュアルな服装に、髪をシニヨンにまとめ、キャミソールの上に「立ち襟」の張りのあるシルクっぽい素材の細かい花柄(大柄だと動的になる)のブラウスを羽織ることで、上品に着こなしてしまうワザ。
髪形は、ジュリア・ロバーツの特徴のひとつともいえるボリュームのあるウェービーロングが、九割方、封じ込められていて、ストレートっぽいセミロングとか、シニヨンが印象的。静的なラインの髪形ってことだ。
そして、ヒュー・グラント演じる主人公に節目節目に会うたび、アナの服装は、必ず、「やわらかく」なり、「ゆるむ」のだ。
最初に主人公の本屋に入ってきたアナは、サングラスにレザーのライダースジャケットにパンツという、まさにジュリアらしいいでたち。
すぐ後に着替えたアナは、ジャケットは同じでもスカート、という「やわらぎ」を見せる。タンクトップは、腹部分はちら見せしても胸元がホルターネック的に隠れているのが上品ラインに踏みとどまるテク。
新作発表のインタビューのプレスに混じって、主人公がアナと会ったときには、当初はまとめ髪にテーラードジャケットのパンツスーツでぴしっと決めているが、仕事が終わり同じ場で再会したとき、まとめ髪をほどき、ジャケットを脱いでいるという「ゆるみ」を見せる。しかし胸元はネクタイをきっちり締めて上品ラインを保持。
すれ違いを経て、アナが愛の告白に本屋を訪れるシーンでは、水色のグラデーション染めのツインニットとネイビーの台形スカートという、清楚でグッドガール的なスタイル。
アナにとっては、一世一代の告白の場、そこで選んだ服装は、「ひとりの女の子としてあなたの愛を乞いにきている」という「気分」を映したもの。
最初に本屋に現れた時点の服装から、告白に本屋に現れた時点での服装、この、やわらぎとゆるみの変化ぶり。
もちろん、告白の仕方も、失望の仕方も、とても静的な演出である。情熱的であってはいけない。
本当に上品であるためには、演技ではなく、デフォルトモードが上品でないといけないのも確か。
というわけで、私、この映画をしっかり見ていたつもりが、ぜんぜん見ていなかったものがこんなにあったのね、と知る十五年後。
自分が更新されたってことかも!と、うれしく受け止めることにする。
主人公の自宅のインテリアや家具も、無造作に散らかっているように見えて、あのスタンドライトはマーガレット・ハウエル推奨の製品だったような?だとしたら中古ソファに見えるけれど、ミッドセンチュリーの家具で統一しているのでは?と初めて考えたりする。
映画は、各分野の目利きの集大成ともいうべきものなのだから、意図的につくられているものはすべて、その分野の目利きがたくらみを持って、選択したもののはず。
目の前のスクリーンには、とてつもないセンスと技術の集積が映されているけれど、私にそれが見えないだけ。
昔見た映画が、自分の更新度のリトマス試験紙になったような感覚。
視野の更新は、自分しだい。