二年経過

2012/7/8にスタートしたこのブログ、二年が経過して、今日から三年目に突入。
昨日も、男1名(神保町で)、女1名(ミッドタウンで)から、すれちがいざまに「ブス!」と言われたあたり、三年目になっても、なんら私の容姿は向上していなさそうであるし、もうそれでもかまわないと思ってはいるが。
お二人とも、通りすがりの女性に「ブス!」と言うことを当然とする倫理観の中に生き、同じ倫理観を持つ準拠集団の中で生きているんだろうなあ。
老人と老女になっても、通りすがりの女性に「ブス!」って言ってるんだろう。
私はこの先、お二人の準拠集団に属すことはないだろうし、その準拠集団にできるだけ関わらないようにもするから、ふたりともその中で生きていってね。
先週末は、一度試してみたかった、「着物で観劇」にトライ。
椅子にもたれて舞台を見る場合、着物をきた状態だとどうなるんだろう?
身体面で、耐えられることなんだろうか?
実用面で、着物は観劇にそぐわない気がしてならないんだけど、実際のところどうなんだろう?
・・・なんてことを確かめるには、実際に試してみるしかない。
場所は国立能楽堂
能楽の着物鑑賞客は、さぞや着物のレベルが高そうだから、きっと絹の夏着物が主体だろう。
私がのこのこ綿麻着物で行ったら、恥をかくかもしれない。でも実行した。
着物を始めたら、着物で恥をかくのは当然と思うようになってきて、ヘンに度胸がついてしまうのだ。
このぶんだと、着物に限らず、物事すべてに、恥をかく度胸がついてくるかもしれない。
さすがに半巾帯はやめて、ここ二ヶ月結ばなかったお太鼓にしていこうと、母からのもらいもの、麻の名古屋帯をお太鼓結びにする。
案の定、ああやってこうやって、あ、だめだっって感じで、1時間かかって結ぶ。はは。
能楽堂に入ってみると、やはり「着慣れた方たちが上品な絹の夏着物をお召しになっている」モード多数。
私、眉をひそめられてしまうかも。
しかし、昨年、「誕生日に着物で出かける計画」を実行した根津美術館で、茶道風な着物のグループ客に恐れをなして、短い滞在で逃げ帰ったことを母に話したとき、「茶道は茶道で、ある程度制服みたいな着物のきまりがあるの。茶道をしに行ったんじゃないんだから、どんな着物をきていても堂々としてなさいっ」と言われてから、平気になった。
絹の無地や訪問着の着物と、カジュアル着物は、フォーマルドレスとデニムのようなもので、そもそも比較対象にならないはずだと。
そして、午後1時から4時半まで、観劇してどうだったかというと。
まず「着物で能楽堂」での、プラスポイント。
気分がアガること。
絹の衣装の出演者を基準にしているのか、能楽堂内は異様に空調で冷やされているので、(つまり着物基準の空調設定)着物がちょうどよく、冷えから身体を守ってくれる点。
この二点はプラスだったんだけど、私にとってはマイナス点のほうが、上回ってしまった。
椅子の背にもたれると、帯枕があたって背中が痛い。
かといって、背を浮かせると、体勢的に耐えられないし、前のめりになるので、後ろの人に迷惑。
いまどきのシネコンと違って、能楽堂は前後の席の高さの差が少なめなのである。
しかし、前のめりにならないように、帯枕の痛さに耐えるほうを選んで、背もたれにぴたっと背中をくっつけていても、結局は帯枕の厚みのぶん、前に出ていることになるので、洋服の客よりは後ろの人に迷惑をかけていることになる。
また、「帯枕の痛さに耐える」分に神経が分散してしまい、せっかくの舞台を楽しむための神経がそがれる。
結論。私の場合、観劇には洋服だ。
舞台と、「着慣れた着物客」の装いの鑑賞に、集中しよう。
と身を持って実感しながら、三年目へ向かう。