視野を広げて考えると

このブログの検索ワードの常連に「通りすがりに○ス」があるあたり、いまどきの日本では、通りすがりに何らかの悪口雑言を投げつける人物に遭遇するというシチュエーションに見舞われているのは私に限ったことではなく、今後も増えこそすれ、減る傾向にあるとはいえない気がする。
ネット上で、悪意を持った検索ワードと低評価を下すことが大多数であるならば、リアルでもその状況が大多数になっていく気がするから。
そういう状況に遭遇するのがあたりまえになっていくと考えてしまうと、私、○スって言われてもだんだん平気になってきたような、強くなってきているような気がする♪
そもそも、通りすがりに○スと言われて悩むのも、視野が狭い悩みだなあと思うようになる。
もちろん、加害行為者のほうも、やっていることも心根も視野が狭い、と思う。はいはい、目先のものだけを見て、好きなだけ通りすがりの人を罵倒してればいいよ、それが幸せなら。
もっと視野を広げてみると、容姿の問題以前に、人種差別、女性差別が、世界には歴然と存在するのだから。
どんな容姿であっても身なりであっても、アジア人というだけで、通りすがりに罵詈雑言を浴びるという国も、存在しているのだから。
観光客であれば、いわゆる観光地であるならば、あまりそういう目には会わないと思う。
だから観光でしか海外に行ったことのない私は、差別行為に遭ったことはないんだけれど、観光地ではなく田舎だったり、その土地で住人として生きるシチュエーションになったときに、アジア人というだけで無条件に差別に遭う可能性は高い。
そういえば、アメリカで生活しているある人の話では、本人も日本人、娘も日本人だが、再婚した夫がアメリカでかなりの高収入、地位であるためそれに伴った生活をしている状況にあっても、現在中学生の娘さんは、将来アメリカの大学ではなく日本の大学に進学することを強く希望していて、その手続きに今から頭を悩ませている、とのこと。アジア人の自分はアメリカの大学(社会)に進んでも上部に行けない、だから日本の大学に行きたい、と娘さんは言ったそうだ。それは、アメリカで小学生と中学生をやってきた娘さんの実体験に裏付けられた言葉なのだろう。
そういえば、アメリカの海外テレビドラマや映画に出てくる脇役以下のアジア人って、アメリカのショービズ界なら、いくらなんでも、アジアンビューティな美男美女俳優がオーディションにいくらでも来たはずでしょ?なのになぜ?といぶかしく思うほどに、ぱっとしない容貌の俳優が多かったりして。
一番美しくあるべきは白人であって、アジア人俳優は、白人俳優の引き立て役となるのにちょうどいい程度の容貌を選んでいるとしか思えない・・・。この行為の基底に、アジア人への差別テイストが一滴もないとはいいきれないのではないだろうか。
そもそも私は、このダイアリーを開始するときに、コンプレックスをテーマにしよう、と考えた。
たぶん、視野が狭いままで生きていけば、コンプレックスも持たなくて済む。それはそれで賢い生き方なのかもしれない。
ただ視野を広げて考えよう、と努力していると、コンプレックスは持ちつつも、自信も持てる気がする。