自分でないものに見せようとすれば

以前から、中野香織氏のブログを愛読していて、一度じかに姿を拝見したいなあと思っていた。
人間のなまの姿というのは、とても大きな情報なのだ。
人間は、二次元じゃなく三次元の状態で見るのが一番たしかな手ごたえがある。プラス、静止した状態じゃなく動いている状態が。
なので、先週、中野氏による池袋コミュニティカレッジで開催された、映画『イヴ・サンローラン』講座へ、これはチャンスとばかりに参加した。
いつも中野氏のブログや、雑誌のコラムを拝見していて、「きちんと」書く方だなあと思っていた。
毒や大きな逸脱がなくて、悪い意味ではなく優等生的な感じ。
私は個人的には、毒があったり、大胆な逸脱や推理によるスリリングな論理展開や爽快なまでに奇想天外なものが好きなのであるが、氏のブログの内容は、公に対する伝え方やコンテンツをきちんと配慮しているためか、読後に不快になることは決してないのが好きである。
きちんとして優等生的で相手を不快にさせない・・・そう、フォーマルなイメージ。
ブログも「フォーマル」のコンセプトを守っている感じがする。
実際拝見した中野氏も、フォーマルな印象の方だった。
話し方や服装や容姿、きちんとしていて上品で、上品を逸脱しない華やかさのある方だった。
おそらく、ファッション業界では、派手で個性的なイメージの人物はたくさんいるはず。
そういう人物たちと組み合わせる場合、中野氏は相手を阻害する要素はいっさいなく、フォーマルな要素を付加してくれる存在として好ましい方なのかもしれない。
講義の後、質問コーナーがあったのに、質問が思いつかなくて、質問できないまま帰宅。
お会いしたかった人に質問できる機会がある場合、質問は、あらかじめひとつは用意していくべきだね。
しかし、しばらくしたら質問を思いついた。残念、どうしよう。
そうだ、ブログのコメント欄で質問してみよう、と思いついて、質問を書き込む。
嬉しいことに返答をいただけた。自分の中のストックにしておきたい贈り物のような答えを。
質問は「先生は、ファッション史の研究を通じて得た中から、ご自身の服装や着こなしの上で、参考にされていることはありますか?」というもの。
先生からの返答はこうだった。
「ご質問につき… 私は紺屋の白袴、といえばかっこつけすぎですが、自分の服装のことは比較的安直です。
ファッション史上の人物だけに限ったことではないのですが、「自分でないものに見せようとすれば、人はすぐに反感を浴びて本人もダメになる」という事例はたくさん学びました。
だから、あまり世間の枠に無理に当てはめたり、自分の内面に合わないような装いはしない、ということだけは守っています。」
...「自分でないものに見せようとすれば、人はすぐに反感を浴びて本人もダメになる」「自分の内面に会わないような装いはしない」・・・・今の自分の指針になりそう。
後日見た「イヴ・サンローラン」の映画そのものは、ピンポイントで感じいったところがある映画だった。
人間の機微とか、職業的能力、といったポイントに。
サンローランは、デザイナーの世界に非常に多いゲイで、経営面で彼を助けたピエール・ベルジュという生涯のパートナーがいたのだが、ふたりが出会ったころに、ベルジュはサンローランを自分の別荘に招待する。
その別荘では、もうひとり、(たぶんベルジュの当時のパートナーの)画家の男性もいるんだけど。
ある日、その画家が、今夜の夕食は何人招待している?とベルジュに聞き、「8人」と彼が答えると、画家は一言「キャンセルしろ」といって、その場を立ち去る。
これは、サンローランとベルジュがお互い惹かれあっているのを察し、今夜はふたりで過ごせ(結ばれろ)、という暗黙のメッセージ。この画家の機微にじんときてしまった。
職業的能力、という点では、サンローランにマスコミの女性四人がインタビューに来ているシーン。
問われたことに正直に素直に答えているサンローランに対し、ベルジュが「つまらないことは答えず面白いことを話せ」と囁くと、繊細なアーティストのサンローランは、あとはベルジュが答えるから、といい置いてぷいとその場を立ち去ってしまう。残されたベルジュ、四人の前に座ったものの、デザイナーではない自分が、経営面運営面での話題の何を話そうが、答えようが、彼女たちにとって、面白いわけがない。さあどうする?自分にできることは?
となったとき、ベルジュは、女性たちにシャンパンを振舞いつつ、今からサンローランの服作りの舞台裏をご案内しますよ、そちらの取材をしませんか?と、自分が提供することのできる「面白さ」をとっさにひねりだすのである。
小さなシーンだけれど、ベルジュの職業的能力を象徴しているかのようで、好きである。
ちなみに、中野氏は、講座で、美術品が大好きだったサンローランとベルジュの華麗な邸宅内や、壮大なショーの模様など、参考になるユーチューブの動画をいろいろ見せてくれたのだが、その中でもっとも印象的だったのは、サンローランに先立たれたベルジュ(実際のご本人)が、壮麗な葬式の場で、目に深い哀しみをたたえているのに、せっせと場を取り仕切っていた姿だった。最後の最後まで、恋人の面倒を見る人だ・・・と、他のどんな華やかな映像よりも感動したのだった。