服の「戦略化」

中野香織氏のブログで紹介されていた、しぎはらひろこ著「朝5秒の鏡の魔法 その無難な服では稼げません!」を読む。
自分にとっては、新しい見方だった。それは服装を「戦略」として捕らえる見方。
服装に使う費用や時間をかけすぎない方法として、「キャラクター化」と「匿名化」がある、と2014/8/28「アノニマスな服装」の記事で書いたけれど、そこに「戦略化」を加えていいかも。
大雑把にまとめると・・・。
服を選ぶ基準から、おしゃれか、似合うか、センスがいいか、は捨てていい。
自分がどのような人物か、またはどのような人物でありたいか、を示す服装を選べばいい。
この「自分を示す場」というのは、主にビジネスの場だ。
したがって、ビジネス面で社会参加している者、ある程度のビジネス上の実績を既得している者が、営業、プレゼンなど人前に出るときに、それを外面的にアピールできるツールとしての服装基準とは何か、ということに主眼が置かれている。
だから、ビジネスに参加していても、(私のように)社内の人以外に誰も会わない内勤業務の女性の服や、休日の服は、デザインも価格もほぼ自由に選んでいいとのことなので、私には実生活に活かせる内容ではなかったのだよね、実は。
でも、この書を読んだあと、新たな観察眼にスイッチが入りだした。
そういえば、ニュース番組の女性キャスターや女性アナウンサーの服、女性政治家の服、って、一定のパターンのデザインだよね。スカートスーツにインナーはシャツではなくカットソーで胸元はちょっとオープン、スカートちょっとひざ上。
皇室関係の行事の服も、出席者が洋装のスーツの場合は、デザインに一定感がある。
たとえ、着ている本人が、この服装ださい・・と内心で思っていても、その場での役割を果たす服装として、規定のデザインを選ばざるを得ない状況のような。
ちなみにこの本によると、女性政治家と、銀座のホステスの服装の鉄板ブランドは共通していて、それが「銀座マギー」なんだそうだ。
ちょっと「銀座マギー」の服をネット上でチェックしてみると・・・。
いえ、私のような人間は、あまり着たいとは思わないので、どうぞ、服にふさわしい役割の方、またはそういう役割を目指す方がお召しになってください、はい。
そういえば、知人の夫は銀行員で、泊り込みの新入社員研修を担当していて、まずそこで「銀行員の服装」を仕込むって聞いたなあ。シャツはカラーもストライプもダメで、真っ白じゃないとダメだとか。ってことは、カバンも、トートやリュックはダメなんだろうなあ。
似合うデザインか、似合う色か、なんて視点をふっとばし、ビジネス上でメリットを与える服装を選ぶということは、服装の「戦略化」ということ。「戦略」なのだから、目的や役割を果たすために、無駄な要素がない服を選ぶということ。
いわゆる「モテ服」も「戦略化」の一端かもしれない。
当然、同じようなデザインの服、インナーだけ変えて同じ服、という服装ライフになるのは自然なことなんだそうだ。
そう、だってそれって、戦略的ユニフォーム・・・いわば「軍服」と同じ。「軍服」に似合うもセンスも着まわしもない。
私はなぜか「軍服」を着るポジションとはほぼ無縁の職歴を経過中なので、服装に関して、「戦略化」は選択しないと思う。
服を選ぶとき、「似合う」に出会ったときの、新鮮な驚きや喜び、「これ、好き!」という主観的な選択理由の心地よさなど、服の「無駄な要素」に潜む楽しさは、捨てがたいものだから。