「情」の停止

仕事をこなすために、思考停止をしなくてはならないときがある。営利部門は特に。
締切までにこれを片付けないと!しかも間違いなく!という使命を持って取り組むときは、思考停止して目の前のことに集中するしかない。
「思考停止」は、集中でもあり、何も考えず心を無にする、ということでもあって、それは、不快というわけでもなくて、むしろ脳にとって快感になったりする。
生き抜いていくために人間に備わった機能のひとつかもしれないとさえ思う。
だから、「思考停止」は案外簡単にできる。
それより難しいのは、「情」の停止だ。
仕事をしていると、「情」の停止をしなきゃならないときがある。
このことに気がついたのが、ほんの数年前だから、私にとってはかなり不得意なことなのだと思う。
そもそも「情」の停止自体が、女性のさがに逆らうことなのかもしれない。
たぶん「情」は男性よりも女性の得意分野のハズ。
仕事中の男の人は、案外、意識することなくあたりまえのように「情」の停止ができている人がたくさんいるし。
あ、職業的にも、たとえば医師などは、「情」の停止ができないとやっていけない気がする。
ああ、優しい人でありつづけられたら、どんなに楽だろう。
今の上司が部外に対して、最大の悪役をひきうけてくれているおかげで、まだ私には優しくできる役割が残っているから感謝しなきゃならないけど。
でも。社内の人に対しても顧客に対しても社外の人に対しても、「情」の停止をしなきゃいけないときがある。
情で他人や物事は思い通りにできない。
弱さで他人や物事を思い通りにもできない。
友人に弱音をはいたりする。
「仕事で思い通りにならないことがあると…つらいね」
「え? 仕事って思い通りにならないことしかないよ」
…そりゃあそうだ。
私はまだまだ「情」の停止の修行中。