自分のパターン

昨日の朝。
「三月末で退職することになりました」というメールが来ていた。
送信者は、私が入社して最初に配属された部署の一年上の先輩だった人。
「同期のみなさまへ」というタイトルで、宛名には社内の先輩の同期の名前が並んでいて、私は同期ではないけれど、bccで混ぜてくれたのだった。
詳しい事情は、まだ聞いていない。
その先輩は、入社当時、私をものすごく叱った人で。
結果的に、叱ってくれたことに、とても感謝している。
だって、叱るほうが面倒だもの。叱るほうもエネルギーを使うもの。叱っても、感謝されるどころか、憎まれる可能性があるんだもの。
だから、見込みのなさそうな人間に対して、叱らずに、黙って見放す道をとる人も、多いはず。
社員としてダメになっていくのを、社内で見放されていくのを、傍観していても、全く、かまわないはず。
最も激しく叱られたとき、私は叱られながら途中で泣き出した。
戦略として泣いたわけではなくて、もう涙がこみあげてきて、止めようとしても止められなくて、嗚咽しながら叱られていた。
泣くなよ、俺、そういうの苦手なんだから、と先輩は言いながらも叱るのは中断しなかった。
先輩も、黙っていられない性分の人だったから叱っただけで、私をなんとかまともな社員にしようとしていたわけでは決してないと思う。
たぶん叱りながら、だめな子のカテゴリに私を入れていたと思う。社内で関わる人たちの中でも、最低ランクに入っていたと思う。
しかし、それから一年くらいたったら。
仕事するときに、お互いに、すごく信頼しあってるよね〜と部署内で他の人から言われるほどになってた。
それでね。
これに似たようなことを、私はその前の年に経験したことがあったの。
最初に激しく嫌われるんだけど、あるいは最初に激しく低評価を下されるんだけど、半年後くらいから、むしろ他の人間よりも信頼されてしまうってことが。
私は大学を卒業して、最初に就職した会社を一年で辞めて、今の会社に転職して、現在に至るんだけど。
(一日のインタバルもなく、前の会社で3月31日に夜9時まで仕事をして、翌日、4月1日の朝に今の会社の入社式、というハードさであった)
一年だけいた会社でも、相手は同期だったけど、最初に激しく嫌われたのち、しばらくたったらむしろ激しく気に入られちゃうということがあった。
そのときの上司からは、○○さんは、自分の中で理解するまでの時間は他の子より長くかかるけど、いったん理解し終わったら理解度がトップなんだよね〜と言われたことが、後になって、あ、これも?と一致するシーンに何度も遭遇したので、贈り物の言葉と思って大事に記憶しておくことにする。
それでね。
最初に激しく私に拒否反応をぶつけ、後、それが反対方向に転じる人に出会う、という現象は、私自身の状態の現れでもあったんだなあ、と思う。
つまり、新しい環境に飛び込んだとき、「最初に激しい拒否反応」を起こしていたのは、たぶん私自身のほう、なんだよね。
私を拒否する人が、受けいれる人に転じたときが、私の中の「状況の理解の咀嚼」が終わったときなんだ。
これが明確にわかるようになったのはやはり、社会人になったときから。
こどものころや、学生のころは、ある程度、逃げられるもん。合わない人や合わない状況から。
合わない、苦手だ、嫌いだ、って思ったら、間を置かず、場からも人からも物事からも、逃げられるもん。
でも社会人になって仕事をするとなると、一緒に仕事をする人間も仕事の内容も、合わないからって簡単に逃げられなくなるもの。
でも「一定の期間、逃げられない環境と人間関係に身を置かせられること」で、それまで気がつかなかった「自分のパターン」を発見できたのは、面白い。収穫だ。
「逃げられない」社会人になってから気がついた、「自分のパターン」は、まだ他にもあったのだが、その話はいずれまた。
「自分のパターン」は、自分では案外、気がつきにくいのだ。
気がついたときは、面白いんだけど。