十四歳に、揺り戻され

JXホールディングスの、ガンダムを使った新聞広告記事に遭遇。
チリの鉱山や、ベトナム油田の、どこか地球外地域みたいな背景とガンダムの取り合わせ、似合いすぎる…。
大地に立つ、だわまさに。
私、他のロボットアニメにはまるで興味がなかったのに、なぜかファーストガンダムだけは大好きだったのである。
しかも妙にひねくれた入り口からだった。
きっかけは、小説版だったから。
テレビ放映時には、まるで未知だったガンダムなのに、たしか劇場版哀戦士編が公開された頃、中学二年生のときに、ふと本屋で、ガンダムってクラスの男子が騒いでたっけ、とソノラマ文庫版の、富野喜幸(当時はこの字だった)監督による「小説版起動戦士ガンダム」に目が止まり、買って読んでみた。
そうしたら、非常に非常に気に入ってしまった。恋に落ちたといっていいくらい。
小説は、アニメ版とはまた別物の、大人っぽい内容になっていた。
全二巻だったか三巻になってたか忘れたけど、全編を何度も何度も繰り返し読んだ。あとがきまでしっかりと。(ひとつの巻のあとがきは、たしか岡田斗司夫によるものだった)
こんな道筋をたどったガンダムファンは邪道だと思うが、小説版ガンダムの世界が自分の中で形成されたあとで、アニメーションのほうを見ても、それはそれで、大好きになったのだった。
折りよく、中学2年生のうちに、ガンダムの週5日夕方6時からの再放送が決まったので、全話見逃してはならじと、夕食時に家族の冷たい視線を浴びながら、見た。だって当時はDVDも普及価格のビデオレコーダーも未発売だったのである。
あとにもさきにも、あんなに好きだったアニメーションは、ファーストガンダムだけ。
なんであんなに好きだったんだろう?
ちなみにシャア派ではなくアムロ派だった。女性キャラのお気に入りはセイラさんだったが。
んー…所帯じみてなかったからかなあ…。
ロボットアニメのヒーローなのに熱血直情型じゃなくて、内省的なアムロが、リアルな中二に近くて、新鮮だったのもあるし。
ホワイトベース内は十代の少年少女だけで大人不在、という設定も、中二にとっては「所帯」から乖離した憧れの世界だったし。「ホワイト」なところにいるって、イノセント、聖域のようなイメージを想起させるし。
彼らがホワイトベース外の戦場や中立地帯で出会うのは、大人たちで、もしもその構図が、全共闘世代の学生運動的な投影の群像だったら、逆に「所帯」感覚が揺り戻されてくるけど。
十三歳から十四歳の頃の象徴となる、自分の中の雑多なものは、さまざまにあると思う。
ファーストガンダムはその中のひとつ。すっくと立っている。…すっくと立っていたことに、JXホールディングス+ガンダムの姿で、気づくなんてね。十四歳に、揺り戻され。