映画:エクソダス 神と王

アメリカの宗教美術の役割を果たしてきたのは、ハリウッド映画かもしれない、と思う。
パニック映画は「地獄絵」の役割、旧約聖書を題材にした直球な映画は当然のこと。
昨年「ノア」があって、「エクソダス」は、たぶんセシル・B・デミルの「十戒」以来のモーゼの物語。
20世紀の映像技術が、次第に技術面的には見るにたえないものになってきているとすれば、「21世紀版」の宗教美術的役割の映画を新たにつくる需要は出てくる…。
ストイックで硬派な美男、クリスチャン・ベールはモーゼ役にぴったり。…なんだけど、あえて21世紀にモーゼの映画をつくる、というこの場合、映像技術以外に、どこに着目すれば楽しめるんだろう?
と、しばらく考えて。(というのは、個人的にあまり面白い映画じゃなかったので)
神の造形かな、と思った。
全くネタばれに該当しないから書くけど、この映画の神の姿は、少年である。
へえっ、少年にしたのね、と思った。
というより、具象化したのね、とも。
たとえば21世紀の映画といえども「ノア」では神の姿は具象化していなかった。
だから、具象化しない、見せない、という造形の仕方もできたわけだけど、リドリー・スコットが造形した神の姿は「少年」だった。
うん、たしかにアメリカという国をキャラ化したら「少年」かもしれないなあ。
神の造形の仕方に「いま」が現れるのかもしれない。
「ノア」は心理的に自分で自分を追い込んでいくノアの葛藤が中心だったから神を「具象化しない」のが造形だった。
具象化。ビジュアル化って、やはり効果大きいよね。
日本の画家、山口晃の四天王立像(「廣目天」「増長天」「持国天」「多聞天」の四枚)を初めて見たとき、少女マンガチックな造形の四天王の美形ぶりに、いまという時代に、こんなビジュアルで四天王に降臨されたら、あがめたてまつっちゃう!と衝撃だったから。
ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂ミケランジェロピエタ像も、聖母マリアが娘のように若々しくて発表当時はスキャンダラスだったらしいが、あのピエタのマリアが老いていたら、時代を超えて、あがめたてまつられてはいなかった、と思うし。
「多数の人間が、基礎的な情報を知っている何か」を、ビジュアル化するのは、作り手の楽しみ、鑑賞者の驚き。
宗教美術たるハリウッド映画を鑑賞するときは、そのキャラ造形っぷりを楽しんでいけばいいのかも。
そうじゃないと、なぜ今これをつくる必要が?で終わってしまうから。