愛だと知らず

一昨日、銀座の歩行者天国を歩いていたら、お散歩中のチワワの子犬に出会う。
ただでさえ小さな、チワワ! そのうえ、パピー!
儚い。
生き物としてデビューしたばかりの儚さ。
まだ世界が飲み込めずに、よたよたひらひらとさまよう感じのチワワは、立ち止まった私にわずかに反応して、私を見上げる。
もしかして、目も開いたばかりかなあ。
チワワを連れたご主人の女性に「可愛い…」と小声でたたえて、そのまま去る。
用事が短時間で終わって、さっき来た歩行者天国の道を戻り歩いていたら、チワワのパピーに再会する。
そこには「犬の散歩に来た人たち」の、ひと群れができていた。黒柴ちゃんとか、成人チワワもいる中に。
さっき見たチワワのパピーは、ほうっておけない超絶的キュートさゆえ、通行人につかまったらしく、ひとりの女性に懸命に撫でられている最中だった。
女性の左手にひょいっと抱き上げられたチワワは、目をぎゅっと閉じて、撫でられているあいだ、置きもののように四肢をつっぱらせていた。
一見して、硬直、緊張状態である。
まだ。撫でられることに慣れてないのか。
撫でられることが、人間の愛情の表現だとも、知らない。
そういえばずいぶん昔の記憶。スーパーの駐輪場に止まっていた自転車のかごの中で、黒い子犬がじっとして、ご主人の買い物が終わるのを待っていた。
超キュートだったので、手をのばして、子犬の背をそっと撫でてみた。
すると、子犬、びっくり、という感じで、静止したまま。
触れた手を通して、微かな怯えが伝わってきた。
子犬にとって自然な愛撫は、母犬の舌によるもの、であって、人間の手で撫でられるのは、生物的にインプットされていない不自然な経験、なのかも。
成長した犬は、撫でてあげると驚愕乱舞するけど…あれはちゃんと、学んだ結果だったのか。この、撫でているのは、愛なんだよ、ってことを。
撫でられながら、ぎゅっと目を閉じていたチワワのパピー。歩きはじめたばかりの世界は、まだ知らないことだらけ。
怖い、これ、なに? と怯えながらも、これから世界を知ろうとしている。
愛を愛とも知らないで。