言葉のダンス

前記事を書いた後、思った。
おそらく私、ダンスにハマることは、なさそう。
「踊り心」に縁がある心理体系でもなさそうだし。
ただ。ひとつ思い出した。
「言葉のダンス」には、遭遇するときがある。
これは、ふだん仲のいい人との間に起きるとも、恋愛相手に起きるとも限らず、起きちゃうときは初対面でも起きちゃうことがある。
二度と会わない相手とか、めったに会えない相手なのに、なぜか言葉のダンスができる相手だったりする。
友人の中にもこれができる相手は、わずかながらいるけれど、大人になるとお互い時間がつくれないからめったに会うことができなくなる…したがって、言葉のダンスもめったにできなくなる。
言葉のダンスとは。
一対一での会話。
会話は、一時間くらいは継続する。
話している間はとても楽しいんだけど、話し終わったあとは、お互いに、何を話していたか、ほぼ憶えていない。でも心地よさは残っている。
話している内容に、悪口、嘆き、愚痴はない。
乱暴な言葉もない。
相手が仕事に関連した人だったら、仕事の話はいっさいしない。
言葉の速度、つまりリズムが、お互いにマッチする。早口すぎもせず、スローすぎもせず。
言葉の音声のトーンは、明るめ。湿り気や暗さは極少。
ディベートにならない。
スピーチにならない。
カウンセリングにならない。
成果や結果を求めない。
テーマはない。
その場で音声が生まれていく感じ。
一時的な感性が、旋律。
またたき、ひらめき、思いつき、で会話を重ねていく。
そのときの言葉は、なまもの。残ることなく淡雪みたいに消えていく。
なんて書いても、伝わりにくいよね…。
初対面で、言葉のダンスが起きちゃった例は、学生時代の会社の就職面接で、最終面接が社長と一対一だったとき。
…1時間半、会話してました。
会社の人がこの異常な長さにあせって、途中で社長に「次の学生さんたちが待ってます」的なメモを社長に渡しにきた。
1時間半も、いったい何を話していたの?と聞かれても、そういえば、何を話してたんだろう?と答えるしかなかった。
たぶん社長さんも、聞かれたらそう答えたんじゃないかな。
それっきり、その社長と会うことも、話すことも、一度もなかった。
その後、今の会社に勤務し始めたら、上司の中に、たまたま「言葉のダンス」ができる人がいた。
途中で異動で離れたときはあったけれど、トータルで十年くらい直属の上司と部下の間柄だったので、残業夕食をごいっしょするたびに、だいたい計1時間は、言葉のダンスをしていたけれど、毎回、何を話していたか覚えていない。あちらもたぶん、憶えていないはず。
ちなみに、やはり仕事の話はいっさいしなかった。
それを言うと同僚は、ふつう上司との食事は、アピールかクレームの場だ!という。
せっかく言葉のダンスができる相手だった場合は、仕事の話はしないのがダンスを楽しむコツだよ。楽しい運動をしているようなものだからさ。
そして。去年、ひさしぶりに、また「言葉のダンス」ができる人に遭遇した。
所属部署を統括する役員で、ひとりずつ個人面接をしたい!と役員が希望したため、私の番がきて、初めて一対一で話し始めたら。
あ、ダンスができる人だ、とわかった。
役員との一対一面接なんて、二年に一度くらいの割合なのに、おかげでほぼ仕事のアピールもクレームも皆無。
面接を終えて出てきたら、やはり、外にいた社員の人が、私の面接時間の長さを異常に思っていたらしく、「何か、激しいクレームでも、訴えてたの?」と聞く。
いえ。クレームはいっさい。それどころか仕事の話もほぼ。でも楽しかった。
もっと話せる機会が持てたらいいんだけどね、と去り際に役員が言っていたことからして、役員も、言葉のダンスの心地よさを楽しんだんでしょう。
しかし、やはり、それっきり話す機会はない。
仕事がからむと、会話がかみあわなかったり、会話が苦行でしかない相手のほうが多かったりする。
突如、遭遇する「言葉のダンス」は、たまにもらえるサプライズ、ごほうびと思うしかないね。