贅沢品とは、なまもの

贅沢品と聞いて、思い浮かべるものって?
フェラーリ? ジュエリー? バーキン
…たとえばこの三つは、究極の加工技術の品だよね。人の手間がかかっている。
でも。
その対極。加工されていないもの。なまもの。これも、贅沢品。
加工の手が入っていないほど、なまものに近づくほど、価格があがっていく。
冷凍パッキングされた刺身より、生魚からおろした刺身、養殖モノより天然モノ、缶詰より生のくだもの、造花より生花って感じで。
テレビ中継の演劇やコンサートや画集より、生の舞台、コンサート、絵画展鑑賞、のほうが、費用と手間(移動時間とか入場券の購入手配とか)が、かかる。
そして、究極のなまもの、人間。
人件費こそ、最大の経費。
ネット講義、DVD講義より、なまの講義のほうが、開催者側も参加者側も、費用と手間がかかる。
そういった講義系教育系の商品は、どんどん、なまものから加工ものへ、シフト中。
交流手段も、なまものの段階に到達するのは、かなり高いハードルになっているかも。
メールで済む、スカイプで済む。別になまものと会わなくたって。
「なまもの」レベルのつきあいを得られるだけで、特別なこと。
金額的にも時間的にも、「なまもの」を扱うだけで、コスト高。
「なまの人間」は、最高に贅沢なものなんだ、いまや。
なまの人間が加工されたものといえば、ロボット。
過去にはきっと、ロボットは要らなかったんだよね。
創作の世界の美しいネタという役割だけでよかった。
なまの人間が、いまほど贅沢なものではなかったから。