他人のお金

「欲しがっている人のところよりも、無欲な人のところに(欲望の対象が)くる」と以前、書いた。
無欲って。
興味がない、ってことかな。
と、本日ふと思った。
以前、勤務先にいたある女性社員のこと。
他人への接し方が、特殊だった。
知り合った人間から、常に、自分に「もらえること」はないかを、反射的に探し、要求する人だったのである。
他人を利用するというイメージとはちょっと違っていて。
まず、目的とするモノ・コトがあって、その達成獲得のために他人を利用するというわけではないの。
まず、その人ありき。
その人がいるから、その人から自分がもらえそうなものをひねりだす、という順番なのだ。
「もらえそうなもの」とは、モノやお金というより、コトだった。
その人が持つ属性・コネクションにより、得られるサービス。
その人を使って、自分にやってくる何らかの得や利益。
たとえば、ある社員の旦那さんが花や植物の通販の仕事をしている、と知ると。
自分は趣味で野菜をつくってフリマで売る催しに参加しているが、そこで花も脇に置いて売って、人目を引きたい、安く手に入らないか、と旦那さんに話してくれ、とか。
怪我をしたときに、習い事の教室の同じクラスにいた病院勤務の人に、すでに別の病院に通院中なのに、関係者によるなんらかの利益を期待して、あなたのいる病院に入院させて!ともちかけたりとか。
私には、補正下着を買わないか?って言ってきたことがあったなあ。
それは、その人が使っている段階的に買い替えが必要なシステムの補正下着ショップが、他の購入者をひとり紹介すれば、自分が次の段階で買う補正下着が二割引きになる、というサービスが欲しかったため。
そのとき私は肺気胸の手術後で、通常のブラでも手術跡にアンダー部分があたるのさえつらくって、補正下着どころかブラもしてなくてキャミソールだけなんですけど?と課内全員の前で発言したら、ひいていったっけ。
私が知らない範囲で、こういう類のことをもっと多く長期的におこなっていたはずで、もう自然発生的行為として身についているとしか思えないほどに、本人は、そのことに対し、悪気を感じていない。
「この人間から何をもらえるか、ひきだせるか」と、常に考えるのって、自分がもらうためではなくて、仕事とか組織のためなら、才能として生きたかもしれない。
しかし。
そういうことをしていると、周囲の人間は、その人を警戒して、近寄らなくなる。当然だよね。
一方的に、何かもらおう(対価もリターンもなく)としている人からは、逃げるよね。
というわけで、その人の周囲に、「もらえるものを持っている人間」は、いなくなるはずだ。
その人が何よりも欲している対象が、逆にその人から逃げていく。
だって、自分を阻害しようとする人、自分を搾取しようとする人からは、逃げるよね。
でも、阻害や搾取の可能性がない人、そもそも、そういう行為に興味がない人。
そういう人からは、逃げないよね。安心だもの。
その発想で考えると。
私、興味がないのに、なんでこれが常に私につきまとってくるの?!と嫌になっているものがあることに気がつく。
他人のお金を扱う仕事だ。
二十年以上ものあいだ、他人のお金が、私のあとを追っかけてくる。
経理部というわけではないから、会社のお金を扱うというわけではなく、お客様のお金とか、職員がもらうべきお金とか、本当に他人のお金。
別に私、細かい作業が得意なわけでも財テクが得意なわけでもなく、お金を扱う業務なんて望んだことないんですけど!
自分のお金には興味があっても、他人のお金には興味がないんですけど!
と内心で抵抗しても、追っかけてくる…。
人のお金から、遠いところに置かれている人たちは他に山のようにいるのに、なんでこっちにばっかり?
そこで、気づいた。
これも、無欲な人のところに、くる、の一例であると。
無欲というより、興味がない人のところに、くる、がしっくりくる。
他人のお金に興味がない人のところのほうが、そのお金が傷つけられたり、搾取される心配、ないもの。
狼に子ヤギのお守りはさせない、ロリに幼女のお守りはさせない、と同じだよ、きっと。(ちがうか?)
…訂正。
その対象に、興味がない人のところにくる、というより。
その対象を搾取することに、興味がない人のところに、くる。
だから、欲しいものを欲しがったら、こない、ということじゃない。
欲しがりかた…欲望のしかた…にも、なにか望ましいスタイルというものがありそう…。