愛されなければ

愛されなければ、愛せないか。
男女関係のことじゃないよ。
雇用者と被雇用者の関係。
私、妬み心は、強いほうではない…と思っていたんだけど。
今日、4月1日付で、昇進した。
人事部の知り合いから、「昇進したんだから、そのつもりでハードな職務にあたるべき」というメールが来たとき。
自覚していなかった、自分の妬み心が、突然くわっと、噴出した。
どういう妬み心かと、言うと。
一年前のお話。
同じ課内に、社員Aと社員Bがいた。
一年前の今日、社員Aが昇進。社員Bは、そのまま。
私って、なんなんだろう?と、以来、社員Bは自覚しないまま、実は妬み心をひきずることに。
社員Aは、社員Bの六年下で、加えて、いままでに育児休暇を三年間取得、すなわち三年間の業務中断期間があり、親という立場上、突然の休暇や有休もたっぷり取得し、残業は拒否が認められる…という状態であり、業務の質も社員Bより勝っているわけではなかったため。
そして、一年後、さあ、社員B、一年前の社員Aと同じ職位に昇進だよ!と言われても、社員Bの心は、熱くなれない。低温気味。
この昇進のくだりを決めたのは、ふだんの仕事を見てきた上司ではなくて、会社。
一年前、社員Aに何が起きたかというと、異動だった。
異動先は、今の状態よりはハードな業務にならざるを得ないところ。
だから、そのハードさ増量と引き換えに、会社が昇進を用意したのかもしれない、と思う。
今頃そんなことに気がついたか、私!とあきれるけれど、「昇進」の用途は。
ふたつ、思い浮かぶ。
ひとつ、お気に入りの社員に愛情と恩をアピールしたい上司が、自分のポケットからお金を出さずにすむプレゼントとして。
ふたつ、今よりもハードな職務、責務を与える社員への、取引的贈り物、発奮させるための品として。
しかし、雇用者。
その昇進、タイミングと使いどころによっては、「他の」社員にマイナスのダメージ、意欲減退を与える場合もあることを忘れてる。
私でさえ、妬みをひきずっていたのだ。私よりももっと、その類の意欲が高い人たちは男女を問わず、たくさんたくさんいるから。
ひとりの社員の昇進の周囲にうずまく妬み心の集合体を想像すると、おそろしい。その昇進が、派手であればあるほど。
昇進は、雇用者から、被雇用者への、愛の表現、愛のかたちかもしれない。
僕は君を愛しているよ、と喜ばせるため、発奮させるための。
でもね。
一年前に、社員Aに愛を与えていた姿を見ていた社員Bに、さあ、今度は君が愛をうけとる番だよ!、だからこれからハードな業務に耐えてね!と来られても。
ふ、ふ、ふ。愛を与えるタイミング、逃しましたねえ、とそこにいる社員Bは低温状態なのよ。効き目はかなり薄れてます。残念ねっ。
会社から愛が欲しいとか、愛をもらって嬉しいとか。
そういう感情から離れたところに、今立つことができて、むしろ良かった。
そもそも、愛を求める対象ではないはずだし、愛されなければ、愛せないか、働けないか、といったらそうじゃない…。
以前、現代のアメリカ軍が主役の映画を観たとき。(タイトル忘れちゃったけど)
どうして俺たちが戦っているかわかるか?と、いう軍人の台詞がクライマックスにあった。
その答えは、国のため?正義のため?家族のため?恋人のため?金のため?名誉のため?
その、どれでもない。一瞬、拍子抜けするほどに、平凡といえば平凡な答えで。
「一緒に戦っている仲間のために、戦うんだ」
というもの。
しかし、しばらく考えていたら、この答えって、とてもリアルなものかもしれないなあ、と思う。
その人のことを本当に正しく知っているのは、その人と一緒に仕事をしている人たちだよ、と、以前友人が言ってた。
昇進(=愛)をくれる人たちというわけじゃない。
でも、なんのために働くのか?と問うたとき。
「会社から愛をもらうために」ではなく。
「一緒に仕事をしている人たちのために」という答えが、一番、正しくリアルな答えなのかもしれない。