「釈迦」的に

先週も、今週も、会社からの帰路途中で、無声で泣いていることが、しばしば。
花粉が飛ぶ季節柄、涙目で歩行していても、不審がられることはないだろう。
気のせいかな。
周囲の人からの、無言の期待感、頼りにしてます感が、くる…。
そりゃあ、去る人には頼らないもんね。残っている人に、くる。
先日、聞きかじった、仏教にまつわるお話。
お釈迦様は、決して、人にモノを教えない。
たとえば、倒れている人に、手をさしのべて、助けたりなどはしない。
倒れている人に、起き上がり方を、教える。
倒れても、自力で起き上がることのできる、知恵を授ける。
なるほど。
えーと、お腹がすいている家族に、料理をつくって差し出すんじゃなくて、冷蔵庫にあるものを使った、料理の仕方を教えておく感じ?
回答を差し出すんじゃなくて、回答の出し方を教える…。
AかBかの選択肢から、どちらを選ぶか教えるんじゃなくて、選び方を教える。
そうすれば、自分で解決できる力がつくから。
これから私、人に聞かれることがものすごく多くなりそうな予感がするので。
ただ答えをつくって差し出すんじゃないように、したいな。
声を出さずに泣く帰路をたどりつつ、少しだけ、これからとるべき仕事の姿勢が見えてきた。
会社のために、働かない。
仲間のために、働く。
背中をあずけられる仲間に、私はなれるのか、出逢えるのか。
今はわからない、まったく。