漢字は外国語

漢字って、外国の文字だったんだよなあ、とふと思う。
外国語だから、翻訳をする必要がある。
翻訳というのは、理解できるように、意味を与えるということで。
だから、日本の漢字は、意味を持たされていることが多い。
日本人の名前で、よみかたに困ったら、訓読みにしておけば、ほぼ間違いないらしい。
たとえば「城田さん」だったら、音読みにしたら「ジョウデン」さんになるけど、訓読みにしたら「しろた」さん。
音読みは、意味を持たない。
中国語を学んだことはないけれど、たぶん中国の漢字は、音のための漢字で、意味のための漢字ではないはず。
日本語ならば、音のためだけに作られて、意味を持たない「ひらがな」が、そう。
ひらがなこそ、日本オリジナルの文字だけど、漢字は外国の文字だから、日本人がそれを使うためには、理解が、意味が、必要だった。
たんなるジョウという音のための漢字ではなく、キャッスル、城を意味する字として。
なのに、日本人は、名前に漢字を使っちゃっている。音の代用ではなく、意味がついてくる漢字を。
怖いといえば怖いね。生まれたときから、人間に「意味」がついてくる。
そう思って、しみじみと自分の名前の漢字を見ると。
私、一生働く運命かもなあ、と思ってしまうわ。
姓の中に、外で労働するときに使う道具の漢字が入り、名前には、室内の手工業的な漢字が入っている。
これじゃあ、家の外でも、家の中でも、働いていなくてはならないような気がする。
そういえば、作家の三島由紀夫は、小説の登場人物に、名字も含めて、暗示的な漢字を考えてあてているなあ、と思ったことがあるなあ。
日本人の、外国語の漢字のとりいれかた(意味を付与)を思うと。
人間は、理解しなければ動かない、と思う。