ティーセレモニー…

3月に友人に会ったとき、前もって聞いてみたいことがあった。
その友人は、二十年以上、茶道を習っている。
ハマっているような様子はないが、つかずはなれずで二十年続けているのだから。
茶道のどんなところが好き?と聞いてみたかった。
聞かれて、友人は、しばらく考え込んだ。
お茶の作法を習うのが好きなの?お茶会に行くのが好きなの?着物をきるのが好きなの?
着物は自分でいまだに着れないし、着物そのものについても深い興味はなく、茶道具に興味があるわけでもなく、お茶会も常に出席者の立場だし、習う過程が好きというわけでもないって。
じゃ、なに?
日本文化に触れて、学ぶことができるからかなあ。
と、友人は答えた。
茶室の中の茶道具や美術品や菓子や装飾品、花、草木、すべて、日本文化の総合芸術なんだそうだ。
師匠のお話も、ためになるとか。
お話。
…もしかして、師匠のお話がごちそう?
それ以上茶道の話に集中するのももったいなかったので、後日、本やネットでチェック。
茶会にはテーマがあって、そのテーマに沿って、茶室内の道具やしつらえをきめ、茶室内に、無駄なものは一切ないって?
そうか、だから茶室のベースはシンプルで何も無い空間なのか。
しかし、茶会のテーマが、破天荒というか自由闊達なのに驚いた。
ハロウィンがテーマ? え? ムーミンがテーマ? なにそれ? そのテーマを茶道で演出するの?
もってくるテーマが斬新なのに、芸術としてのセンスとクオリティを保てるって、ものすごーい熟練者、技巧者ってことですよね。
これ、ハマる人はハマるんだろうなあ。
しかし、茶会の参加者は楽しんだり、学んだりできるだろうけど、主催者は、物質的にも知識面でも、たいへんな資産を蓄えている人じゃなければ。
ちなみに。
「お茶会」で検索かけたら、宝塚のお茶会がひっかかってきた。このお茶会の主役は、飲食じゃあないよね。
…茶会って。お茶会って。
もしかして。
真の目的はお茶じゃない。真の主役はお茶じゃない。
のでは?
テーマが主役。お話が主役では?
食べ歩き会でもなく、飲み会でもなく、ランチ会でもなく。
お茶会。
茶道具やお菓子やティーセットやテーブルセッティングで、テーマをもったお茶会を催すのは、その分野への愛情とモノと知識の蓄積がなければできないが。
テーマの表現方法が別にあれば?
本棚お茶会とか。
たとえば「ハロウィン」をテーマにした本棚を、亭主的立場の人、開催者がセレクトして、披露。
客は、お茶を飲みながらセレクトの意味や本の内容の質問をし、亭主はそれに答え、そのお話の内容がお客にとっては学びであり、ごちそう。
私は、ブラッドベリの「何かが道をやってくる」しか、とっさに思い浮かばなかったが。
「初夏のブラッドベリ」がテーマの、本棚お茶会でもいいさ。飲み物は、たんぽぽのお酒ならぬ、たんぽぽコーヒーで。
そうだ、「不眠症」がテーマだとどうかなあ? そんな本、あったっけか。お茶はカモミールティーですね〜。
「アディクト」だと、どうかなあ?心理学系の本も入ってくるかなあ? 飲み物はコーラ?お菓子はジャンクでやめられないもの。
本の中に、映画をまぜたっていいんだ。「嫉妬」がテーマで「アマデウス」とか。嫉妬のお茶ってナニ?お菓子は唐辛子入りチョコレートかな…。
ふむふむ。茶道に入門せずとも、お茶会なら誰しもが開催できるのではないだろうか??