無意識の選択基準

根拠の無い考えが、一番、信頼できるかもしれないと、ふと思った。
自分が無意識に考えたこと、根拠もなく行動したことは、信頼していいと。
六年前に、引っ越そう、と思ったとき。
候補の物件が2つあって、どちらを選択しようか、と考えたとき。
何か根拠があったわけでもなく、誰かの言葉や本の受け売りでもなく。
そのとき、自然と自分の中に浮かんだ選択基準は。
どっちに住んだほうが面白いかな?
だった。
この考えは、それまでの自分の住居選びには全くなかった基準だったので、そう思った当時はなんとも思わなかったが、今になって、すごく驚いている。
あの瞬間、私にしては、すごくポジティブな選択基準を持ったんだって。
家賃が負担にならない範囲内で、かつ、住居的環境がそれなりに快適で、会社まで1時間未満で通勤できて…。
という、実利的といえばそうだが、平べったい発想の選択基準しか持たなかった私が。
そのときの私の身体は、人生史上最悪の状態だった。
だから、無意識に自助作用がたちあがったかもしれない。
ポジティブな意識と環境を、とりにいくときだって。
あ、これ、糸井重里氏がなづけた「寝返り理論」かも。
「どっちが得か」「どっちが効率的か」「どっちが賞賛されるか」ではなく、とつじょ生まれた選択基準「どっちがおもしろいか」。
この基準を使っていくと、たいていのことはやらないよりやってみるほうを選ぶことになる。
「どっちが大変か」という選択基準を無意識にもっている人もいるそうな。
あえて、大変なほう、苦労するほうを選ぶタイプの人。
今の私は、「どっちがおもしろいか」のほかに、すごくおもしろいと思うけど、1、2年実行日を先送りして、もっとおもしろくなるための準備をしておこう、という発想も生まれてきている…。
これも、根拠無く生まれた考えだから、きっと信頼していい。