買ってくれなくていい

価値観には、個性がある。
自分の価値観は、他人の価値観と一致しないのがふつうだ。
人の価値観は変えようとするもんじゃないし、よほどのことじゃないと、価値観って、たやすく変わるものじゃないはずだ。
なんてことを考えたのは、最近、母が私にモノを買ってくれるんだけど、私ではなく、母が自分でそれを使ってくれ、と遠まわしに拒否するのが、心理的につらくて。
これでも、本当は、今後いっさい私になにかモノを買ってくれなくていいから、と言いたいところを一応和らげているつもり。
モノというのは、主に着物関係のモノ。
でも、着物のことに全く未知な時点であればともかく、自分基準ができてくると、その人の着物の着方やシチュエーションによって、めざすものはぜんぜん、違ってくるんだよね。
自分がどんなモノを欲するかは、自分の価値観に左右されるから、自分が欲しいモノは、自分が求めるモノであって、他人の求めるモノと一致しないほうがふつう。
本心を隠して、毎回母が私にモノを買うたびに、喜んで貰うのが親孝行というものだろうか?
でも、繰り返しそれが起こるようなら、遠まわしな言い方でも、本心を伝えたほうがいい、他人じゃなくて家族なんだし、と思ったのだ。
別に、モノを貰わなくたって、私にとっての母たる地位も、母への愛も、確固たるものなんだよ。だから必要ないよ。
私、もともと人に幸せにしてもらいたいとはあまり思わない性格なので(自分を幸せにできるのは自分だ、と思っているんで)、母も母自身の幸せにベクトルを向けてくれたほうが、私はありがたいし、気持ちもラク
幸せの基準を自分以外のもの(娘)に置いて欲しくないとも言える…。
私は私でじゅうぶん幸せにしているので、母も自分の幸せを追求して、手始めに私にではなく、自分にモノを買って。
私が子どもの頃は、私が買ったモノを取り上げていたくらいなのに、今では私が全く要求していないのに、母が進んでモノを買ってくれようとする反転現象が起こるなんてなあ。
思えば、父は、自分自身で、欲しいモノやコトを買ったり、消費したりするタイプだった。
…たぶん、私もそのタイプ。
ママ、モノを与えるかいのない娘に育っちまって、もうしわけない。でも、これが私…。