不幸の免疫 その3

前記事のつづき。
思えば私…なんらかのトラブルに遭い、それが過ぎ去ったあとで、別々の人物から、同じような台詞を言われてきた。
「どうして相談してくれなかった?」
「どうして相談してくれなかったの?」
「それは相談してほしかった」
「そういうときは相談してね」
「○○さんに相談すればよかったのに」
さすがにこの台詞を、十回以上、仕事上でも、プライベートでも、毎回違う人物から聞く、となると。
これは聞き流すんじゃなくて、取り入れたほうがいい意見なのでは、と、やっと最近、思うようになった。
つまり私は、何かトラブルに見舞われたとき、誰かに相談することを遠慮しているわけではなく、そもそも、人に相談しよう、という発想自体、思い浮かばない。
基本的に自分で解決しようとしてしまう。
しかも、そのトラブルが深刻であればあるほど、人にはいっさい相談しない。
U君の死を見送ってから一年後。
予想もつかなかったことに、今度は24歳の自分が「人生の非常口」のドアの前に立つという、人生の非常事態にあっても、私は誰にも相談をしなかったのである。
勤務先にも出社していたし、友人とも連絡をとっていたけれど、誰かに相談しよう、相談したい、という発想自体、なかったなあ、あのときも。
ただ、非常口のドアを開けたい、という思いは高まっていき。
非常にやばい一週間がきた。
その週に入ったとき、私は「ドアを開ける」具体的な方法を考え始めていた。
ところが。
小さな、不思議なこと、が起こり始める。
その一週間、私が帰宅をして、「ドアの開け方」を考えていると。
電話がかかってくる。
電話の相手は、大学時代の友人なんだけど、すごく仲のいい友人というわけではなく、ふだんから電話をかけあう間柄でもない程度の距離の、友人。
自分という中心点があって、まずその周りに非常に近い関係の人間を囲む同心円があって、その外側に、ちょっと近い間柄の関係の人間の円があって、またその外にある同心円があるとすると、その、「三番目の同心円」にいる程度の間柄の友人。
電話をかけてきた友人は、とくに私に用事があるわけでもなかった。私の近況を聞き、自分の近況を話す。それだけ。
その翌日の夜。
また電話がかかってきた。
奇妙なことに、またも「三番目の同心円」内の、別の友人から。
その友人も、私に特定の用事があって電話をしたわけでもなさそうで。おとうさんが今度、九州に転勤するの、などという自分の近況を話し、私のようすを聞く。
その次の日の夜。
またも電話。「三番目の同心円」の別の友人から。
その次の日も、同じことが起きた。
四日連続で似たようなことが起きるのって、偶然というよりまるで作為…考え込んでしまった。
しかし、四人の友人が、最近集まったとか、そこで私に電話をかけようという話になって、こういう四日間の現象が起きた、という可能性は、ほぼ考えられなかった。
四人とも、私からの連絡は、一年近くとっていないのである。
その奇妙ぶりに、考え込んだ。
まるで、毎日、ブレーキをかけられているみたいだ。もしかして、何かにひきとめられているのかな。
作為に。
なんの作為? だ・れ・の・作為に?
…その週、実行しようとしていた「ドアを開ける計画」を、私は見送った。
ただ、ドアを開けたい思いが、それで消え去ったわけではなく。
完全に、ドアから離れる事ができたのは、夏休みに帰省したときだ。
その頃、母と妹の住居は、マンションの12階だった。
12階のベランダに立ったとき、またも、ドアを開けたい思いがわきおこってきた。
見下ろしたとき、目に入ってきたのは、マンションの2Fの住居についている、広いルーフバルコニーだった。
突然。
私の中に、それまで一度も考え付かなかった発想が、おこった。
その発想とは、ちょっと先の未来を、具体的に、想像すること。
未来に向かった、タラレバ。
えーっと、もし私がここから飛んだら、次にどうなる?ということを、私ってば、まるで他人事みたいに、具体的に問いはじめたのである。
でも、その視点は、私にとって、大発見、大転換、だった。
私の頭の中では、未来にむかう発想が、亡くなっていたから。
それは「未来のカケラ」を拾い上げた瞬間だった。
「未来」こそ、生きるチカラ、要素。
生と逆のベクトルに向いている人間の中は「未来」を見失った状態にある。
それがどんな発想内容であろうとも、未来に対して視線が向けば、未来のカケラを見つけ、生のカケラを手にいれたと同じ。
私がもしもここから飛んだら、間違いなく、あの他人様の住居所有のルーフバルコニーに着地だ。と、具体的に未来を想像してみたの。
そうなったら、その住居の人も大ショックで、もちろんもちろん母と妹も大ショックで、ルーフバルコニー所有の住人は、母に損害賠償を要求しかねなくて…。
具体的に想像してみた「未来のタラレバ」の中でも、もっとも確信が持てたのは。
もしも私が消えたら、どんなに仲のいい友人でも、いつの日かそのショックや哀しみを忘れるだろう。
だけど、母と妹は、忘れない。おそらく残る人生ずっと、一生、哀しみつづける。という確信だった。
私がそんなことしていいのか? していいわけがない。
ドアが消えた。
私を傷つけたければ好きなだけ傷つければいい。私はこの先どんな目にあっても、絶対に自分からドアを開けない。
私がベランダに出て、そんな大転換を終えて、ベランダから戻ってくるあいだ、母はずっと室内にいたのだが。
私が五分前の私とは激変していたなんてこと、カケラも気がついていなかったはずである。
というわけで、あいかわらず、誰にも相談せず、非常事態を脱した私だったのだが。
「やばい一週間にかかってきた電話」の謎は、今も解けない。
深刻な事態に陥ったとき、その苦しみを隠す方にいくタイプの人間は、家族や、最も近しい間柄の人間に対しては、その苦しみを知られまいと、逆に強いガードが働くものなのかもしれない。
しかし、強いガードの範囲外にあった、三番目の同心円内にいる人間には、かえって…SOSのような、なにかが伝わってしまうものなんだろうか。
あの一週間に、四人の友人から、私に向かって、細い糸が投げられたのかもしれない、と。
そして、思い出す。
私も、U君にとって、たぶん「三番目の同心円」の間柄の友人だったはずだ。
あの日、私は、U君に細い糸を投げようとしたのかな、と。