愚痴の行方

来週、一年ぶりに会う約束をした人に、「Tさんも誘う?」と問われる。
計三人で会う約束をしていて、もうひとりの人は、どっちでもいいよ、という返事。
しかし私が「この場には、Tさんは誘わなくていいよ」と伝えると、もうひとりの人も、実は自分もそのほうが…と打ち明ける。
Tさんは男性なのだが、話の内容が、常に愚痴が8割な人なのだ。
最初にTさんを誘うか聞いてきたKさんは女性で、なぜかTさんにとってすっかり「愚痴を聞いてくれる人」として確立している。二十年以上も前から。
たぶんKさんが相手だと、Tさんの話の内容は99%愚痴なんだろうなあ。
だから私、なぜKさんがTさんに請われたら断らずに会い続けているのか、いまだに謎なのである。
来週会ったら聞いてみよう。
ちなみに、KさんもTさんも既婚者で、TさんはたぶんKさんに異性としても好意を持っていると思うけれど、Kさんのほうにはその気はまったくない。
だから余計に、なぜKさんがTさんの愚痴を長年聞き続けてあげているのか、謎なのである。
だって、愚痴って、聞かされるほうは苦痛で、不毛な時間のはず。
大人になったら、多忙で時間が貴重になるのだから、余計に、人の愚痴につきあっていられないはず。
そんなに愚痴りたければ、今はツイッターもあるし、生身の人間相手に愚痴を聞いてもらおうなんて、普通ありえないよ。お金、いるよ。
…と思ったら、ちゃんとお金を払ったら愚痴を聞いてくれる会社も存在してた。
「聞き上手倶楽部」と言う。
電話で、メールで、対面で、「話を聞いてくれる」サービスだ。
お話内容ベスト1は「人間関係の愚痴」。
うん、やはりね。生身の人間に愚痴を聞いてもらうのは、その人の時間を買うのに等しいから、お金が要ることなのよ。…Kさんは、ここの聞き手になる実力を十分備えている人なのかもしれない。
次に、ベスト2のお話内容を見て、驚き→即、納得。
「自慢話」だって。
たしかに「自慢話」って、話している本人が一番幸せで、聞かされているほうは、「聞いてあげる」というサービスを提供しているのも同然だ。
「聞き上手倶楽部」を運営している会社は、うつ病や子育てに特化したトークサービスも提供しているようだけど。
「聞き上手倶楽部」の利用者コメントによれば、話の内容が愚痴の場合、愚痴っている人は、何かしら解決策が欲しいわけではなく、ただ聞いて欲しい、のだ。
だけど、それって、話の内容が長くなって、ループして、リピートして、発展もないということだから…
愚痴る人は、相手の解決力や知力や話の内容を求めているんじゃなくて、愚痴を聞いてくれる時間を自分が望むぶんだけ長く差し出して欲しいだけだから。
それに応じてくれる相手を得るなんて、大変なこと。
たとえ夫婦でも親子でも、恋人でも友人でも、あまりに長期間かつ継続的だと、愚痴を聞かされるほうはイヤになるよ。
言葉には、物理的な殺傷力なんてないはずなのに、愚痴がかもし出す負のエネルギーって凄いよ。
愚痴。
思わず、辞書でひいてみた。そうしたら、愚痴にはふたつ意味があって、最初に出てきた意味を読んで仰天。
「愚かなこと。無知によって惑わされ、すべての事象に関してその真理をみない心の状態をいう。」
この意味は、仏教用語としての「愚痴」の意味。思えばたしかに、凄く悪い漢字があてられているけど。
「言ってもしかたのないことを言って嘆くこと」
はい、この二番目の意味が、通常我々が「愚痴」に使っているほうですね。
しかし、全く同じ言葉が、こんなに酷い意味を持っていると知るだけで。
できれば「愚痴」に関わらないで、生きたいと思う。という私は聞き手になる資格ゼロだなあ。
以前より、私自身の愚痴の量は、低下している気がするんだけどなあ…。
愚痴の元根を絶つには、許すことと、楽しむことと、面白がることかもしれない。人間に対して。