本当に思っている人は

本当にその人を思っている人は、その人に何も要求しないよ、と聞いて、納得する…。
その人の時間、労力、財産、言葉、才能、若さ、身体、能力、知識、人脈、尊敬、愛情、忠誠…何も、要求しない。
忙しいから、時間をとらせちゃいけないなあ、とか、要求しちゃいけないなあとか、わずらわせちゃいけないなあ…そう「自然に」感じていたら、その人のことを「思って」いるサインだと思っていい、きっと。
与えるもののほうが常に多くて、貰うものは、それより少ない。
その人が持っているものや属性を利用して、何かを得ようとする人は、たぶん、その人のことを「思って」いない。
自分のことを「思って」いる。
あるいは、「思い」など関係ないところ、ビジネスの関係、利害関係で、その人と自分のつながりをとらえている。
ただ、面白いことに、仕事仲間の間柄でも、「思って」いるか、「思って」いないか、が見えてくるのが、不思議なんだけど。
思っていても、思いを伝える時間を欲するのは、その人の時間を要求することになるから、できなくて、思いを伝えにくい…いや、伝えようとする行為自体が、自分のためであって、その人に対する思いではなくなる。
しかし、そうこうしているうちに、その人のことを思っていない人に、その人が消費されていくのも見ているしかないのも、なんか矛盾だ。
三年に一度、五年に一度でもいい、思っている人の前に現れて、思っている人を助ける力を持ちたい、と思うこのごろ。