ターミネーター ジェニシス

アメリカ映画のお家芸のひとつに、「父殺し」がある。
しかし、この映画で描かれるのは、「父殺し」ではなく「子殺し」だ。
趣向を変えつつ、連作が生み出されて来た「ターミネーター」。
非常に重要な役割を負っているのに、今まで、忘れられてきたに等しい人物が、今作の主役。
サラ・コナーとカイル・リース。
ジョン・コナーの母と父。
ジョン・コナーを生み、育てる役目(だけ)を負ったふたりが、その役目から、運命から自由になるには。
「子殺し」をしなければならない。
ふたりにとって、ジョン・コナー=運命の呪縛だから。
未来の母と父が、未来から来た息子を、ふたりで連射し続けるシーンの激しさは、残酷というより、運命から自由になろうともがき苦しむ人間の苦悩の激しさを映すもの。
ふたりが殺そうとしているのは、「子」ではなく「運命」なのだ。
サラ役の女優が、戦士というより母というより、少女に近い容姿なのも、的を射たキャスティング。
「らしくない」から。
もっと彼女らしい、彼女に似合いそうな、別の人生が、別の時間軸が、あっていいはずだから。
しつこく蘇るシュワルツネッガー製ターミネーターも、必要があってそう演出しているはずで…ジェニシス(創世記)だから、創造主的な記号なのかな…
複数の時間軸のリピートと交差っぷりは、つっこみどころの呼び水になるに違いないが。
サラ(聖母)という名前を負わされた少女の苦悩に、アベルとカインをミックスしたような名を持たされた父、カイルの苦悩に、スポットがあたった今回のストーリー、かなり私は好き。
ジョン・コナーの母と父じゃなくて、サラとカイルなのだ。