人のお金の使いみち

職場での、去年の出来事。
あるお客の、過去の請求内容の照会が、某市の警察から入っている、と連絡が来る。
なんでまた警察から?と思ったら、ある横領犯の孫が、うちのお客で、一時期、孫あての請求の支払いを、祖母である横領犯が請け負ってくれていたらしい。
横領したお金の使いみちを、調べられる限り調べているんだろうな、たぶん。
ウェブで検索したら、ちゃんとその横領犯の情報がヒット。
犯人が勤務先の会社から横領した金額は、当初判明しているものだけで二億円で、長年にわたって横領しつづけていた金額は、まだ全貌が暴かれていないが、十億円は越えるらしい。
二億円(もしかしたら十億円)、何に使ったんだろ…。
思わず、職場内で、こんな話題。
二億円手に入ったら、どうする?
とっさにみんな、答えが思い浮かばない。う〜ん、と考え込んでしまう。(私も含め)
ある意味、日常モードが小康状態にある人たちなのかもしれない。(私も含め)
でも、先週末のランチで、その話題を口にしたら。
二億円なんて、あっというまになくなるよ。二億円も二十万円も同じようなものだよ。
二十万円だったら、あっというまになくなるでしょ? 同じようなもんだよ。
という意見。
そうか。
だって、人のお金だもんね。
人のお金の使いみちは、放蕩にしかならない…。
お金の使い方が醜くなる、とともに、使っている本人も醜くなる…。
現に、私の親族の中にも、義弟の親族の中にも、その事例がいくつも思い当たるくらいだ。
お金の獲得手段が、自力か他力かで、お金の容貌がちがってくるとは、お金って面白い。
同じお札なのにね。
税金も、自力のお金じゃなく、他力のお金と受け止めている人たちが、いるんでしょ…。