ほのぼの、奈良


先週末は、奈良旅へ。
到着した日の午後は、奈良出身で、今は隣県に住む、数年前に定年退職した、かつての上司に会う。
旅の計画を私からメールで連絡したのが、一ヶ月前だったんだけど、一週間前に概略の予定を聞くメールが来て、二日前にさらに細かい予定についての連絡が来る。
<京都駅にその時間に着くなら、この時刻発の特急に乗るように。こっちはそのつもりで動きます>
なんだか仕事の指示を受けているみたいで、懐かしいなあ。
思えば、私が二十代から三十代前半のうちの8割は、この人が上司だった。
当時は気がつかなかったけど、仕事に関しては完璧主義な人なので、知らないうちに、かなり鍛えられたんだわ。
一度教わったことは二度と聞いちゃいけないし、「間違える」こと自体が、私の信用低下を意味した。
若いうちにそういう上司について、良かったと思う。
逆に、鷹揚な上司の下にずっといて、今から完璧主義の上司が来たら、つぶれていたかも。
完璧主義だけど、一度信用したら、自分の部下ではなくなったあとも、永遠の部下のごとく親切に接してくれる人なので、こんなふうにときがたっても会いにいける。
その日の前日、京都はひどい大雨で、京都駅は帰路の切符を求める人々でごったがえ。
一日前じゃなくて良かった、と思いながら、予定通りの奈良行きの列車に乗り込む。
奈良駅に到着間際になって、指示メールが来る。
<奈良にようこそ。東改札口から出て、D出口をあがったら、右手に止まった白い車です。>
順調に到着できて良かった〜と東改札口を出たら。
D出口がない…。
1、2、3、4、5、6…と数字の出口だけ。
どーしよー、指令を達成できない…はっ! 駅員に聞けばいいんだ!
「昔、D出口だったところは、何番ですか?」
「昔どうだったかは知らんけど…4ちゃう?」
「じゃ、4番に行ってみます!」
4でした。
レジャーなのに、仕事のような達成感を感じつつ、元上司に再会。
私が強健な体ではないことをよく知っている人なので、実は坂道が多い奈良界隈を、できるだけ坂道を歩かないですむように、新薬師寺や飛火野や、奈良ホテルティータイムなどへ、連れて行ってくれて、夕方に、東大寺そばの宿泊先まで送り届けてくれた。
なので、鹿に初めて会ったのは、車窓ごし。
奈良で鹿をひいたら、鹿じゃなく人間のほうが悪いんだ、とのこと。
鹿だらけ、国宝だらけ、世界遺産だらけの奈良。
鹿をのぞけば、京都と似た古都なのかもしれない。
しかし。
奈良のデザインは、よりシンプル。
人間もそうなんだけど、「余裕」を感じる。
奈良の寺社内のスペースにも、建物内も、建物デザインにも、すっきりした余白がある。
庭園はあまりなくて、芝地と池と建物、というすっきり感。
建物も、白壁と、屋根と、柱というシンプルきわまりない構成なんだけど、ほれぼれする完成度&感性度の高さ。
シンプル=洗練の、見本だわ。
入り口に、可愛い寺オリジナルの紋入りの几帳が飾られていて、他がシンプルなので几帳のデザインの可愛さがとても際立つ。
京都の寺にも几帳があったはずだけど、まるで記憶にないのは、几帳より目立つ装飾があったからだと思うのだ。
(写真は、興福寺の、鹿が向かい合うデザインの几帳。東大寺鳳凰をデザインした几帳だった)
京都のほうが華やか。でも京都の美には、神経質なところもあり。
しかし奈良は神経質な感じがあまりなくて、おおらか。
「可愛い」は、使用範囲が広いので、京都にも奈良にもあてはまる表現だ。
京都には似合わないけれど、奈良にこそ似合う表現…あ、見つけた。
ほのぼの。
これじゃない? ほのぼのちゃう?
旅館の夕食の品数の多さに、胃腸を酷使しながらも、翌朝、まっすぐ、まずは飛火野へ。
朝、ここにくると最高に気持ちがいい、しかし、朝から鹿せんべいを手に、のこのこ出て行くと、鹿の集団に襲われかねない、と元上司に前日注意されていたので、手ぶら。
歩いている途中で、ホルンの音が聞こえる。もしかして噂の鹿寄せでは?と、期待して到着すると。
鹿は寄せ終っていて、鹿の集団に囲まれてせんべいをあげている人間の団体がいた。
鹿って、歩きかたとか、座り方とか、立ち上がり方とか、優雅だなあ…。
飛火野そのものも、芝生の丸い丘を、どこまでも上ったり降りたりしたくなっちゃう、万葉集の歌の舞台のような、原始的で心地のいいところ。
この広い丘の芝生、どうやってメンテナンスしてんだろ、と思ったら、鹿さんが芝生を食べてくれるから、鹿さんが手入れしているも同然なんだって。
鹿を街中に野放しにしておく大胆さ、おおらかさがいいよなあ。
ちなみに、その後、奈良公園で、ちょうど奈良県庁が向い側にある地点で、5、6頭の鹿のグループが、突如、赤信号なのに道路を横断しだした。
車、どんどん走ってるんだけど!
しかし、さすが奈良のドライバーたち、落ち着いて、鹿たちを渡らせる。
はらはらしながら向こう側に渡りきった鹿たちを見ていたら、周囲には動画を撮影している観光客が何人も。
のんびりと向こう側の車線上を行進しだした鹿たちの後ろに、ちょうど、地元のバスが近づく。
さすが地元のバスのドライバー、対処方法を知っているらしく、クラクションを鳴らす。
驚いた鹿たちは、再び、道路を横切って、奈良公園側に走り戻ってきた。
三分足らずの、ちょっとした見もの…。
もしかしてあの場にいた誰か、ユーチューブにあげてるかも。
朝からずっと、鹿せんべいをねだる鹿さんに大量に遭遇したので、午後2時過ぎに、やっと鹿せんべいを買った私は、すぐにこのせんべい、なくなるだろう、と甘く見ていた。
しかーし!
午後2時の鹿さんは、すっかりお腹が満ち足りて、ほとんどシェスタに入っている。
せんべいを差し出しても食べてくれない。
すごい、動物は、「食べだめ」も「別腹」もないのね。
とはいえ、鹿せんべいを東京に持って帰るのは、あまりにもあほだ。東京で鹿と出会うのはかなり難しいし。
何としても、この時間でも食欲旺盛な鹿を見つけねば!
あ、見つけた。
興福寺で、立派な角の牡鹿が一頭、シェスタに入っていなくて、立ち上がっていたので、せんべいを差し出してみたら、ばりばり食べてくれる。
もうぜんぶ、あげちゃう!と、どんどん枚数を追加。4枚目になったとき、鹿が頭をちょっと下げてくれた。(お礼のポーズ?)
奈良初心者なので、新薬師寺東大寺国立博物館興福寺、の奈良駅近辺に絞って回った旅だったが。
興福寺では、てっきり今は見れないと思っていた北円堂内の運慶作の無著・世親像が、この夏、午後の3時間だけ公開していて、見ることができたり、
東京に来たとき見たけどなあ、と思っていた阿修羅像が、興福寺国宝館内の展示では、ライティングが巧みで、よりいっそう、輝いていて、阿修羅は何度見ても、自分を省みたくなる清らかさだ、と再度感動したり。
「国宝館」ってことは、中に展示してあるものぜんぶコクホー?と気がついて驚いたりして。(国宝か重要文化財だけみたい。すご。)
法隆寺平城京のほうも、行きたいなあ…奈良のシンプル、ほのぼの、日本人はきっとみんな、好きなはず。