巨大な何か

以前、マツコ&有吉の怒り新党の新・3大○○調査会で、「ウルトラマン」のシーンを見ていたとき。
登場した怪獣のうちの一体の顔が、数年前に退職した部長に、そっくりだった。
とたんに、怪獣=部長、という図式ができあがってしまって。
ついでに、初代「ウルトラマン」の放映時期の流行語「モーレツ社員」が、リンクしてきて。
ウルトラマンって、モーレツ社員のことなのかも。
毎日出社して働いている、昭和の日本のモーレツ社員のおとうさんたちの姿なのかも、と思った。
仕事中、ときには怪獣が現れ、ボロボロになって、身体を張って、戦わなくてはいけないシチュエーションに見舞われるのだ。
よく、仕事が多忙という理由で、彼が返信しない!と怒る女子がいるが、もしも彼がそのとき、あたかも怪獣と戦っている真っ最中のごとき状況だったならば、メールを読むことさえ、不可能だよ。
ウルトラマンも怪獣も、人間にとっては異形のもの、かつ、巨大なもの。
「異形の力が宿るもの」を、キャラデザインするとしたら。
それはやはり巨大なサイズになるんだろうか?
いや、異形パワーを持つ魅力的なキャラをつくるのに、サイズは関係ない。
でも、異形な力の表現方法として、「巨大なサイズ」という作戦は、とおってもわかりやすい。
巨石信仰も、大仏も、タワーも、超高層ビルも、「巨大化作戦」の産物のはず。
恐竜もそうだ。
まもなく公開される「ジュラシック・ワールド」も、恐竜という巨大な異形のものが、今の時代の気分を背負った何か、にふさわしいから、数年置きに、連作が登場しているんだろう。
開拓の歴史を持つアメリカ、未開の土地で、何に遭遇するか、襲われるかわからない恐怖の中で生きてきたアメリカ人の心に、アメリカカルチャーに、「恐怖」が刷り込まれていくのは、自然な流れ。
初代の「ターミネーター」「エイリアン」なんて、恐怖文化の最たるものだよ。
マイケル・ジャクソンの歌詞も恐怖がベースにあって・・・「スリラー」なんて、王道、決定版、まさにアメリカ人の心の歌です。
ジュラシック・シリーズも「恐竜」が「恐怖」の象徴そのもの。
さすがスピルバーグ、あまたある恐怖の象徴から、よくぞ恐竜に目をつけたものだ。巨大さが、ファンタジーではなく、史実なんだもんね。リアルで、かつ巨大という、最高の恐怖素材。
それで、唐突にここで「進撃の巨人」実写版映画について。
もしもあの巨人が、巨大化作戦による、異形な力と恐怖の象徴の造形であるならば。
今の日本の時代の気分を表す恐怖の造形だとするならば。
あの巨人の造形が醸し出す、不健康さと、知力のなさと、欲のなさ(ほとんど食欲だけに欲が集中)が、今という時代にとっての、恐怖の姿なのだろうか?
なんてことを、思った。
恐怖にも、時代性、国民性があるね、きっと。