心に降りていく

私のものの見かたは、けっこう表面的だ。
ところが、努力もなく、学習もなく、生まれつき備わった才能のように、内部にすっと入っていく見かたができる人も、いる。
たとえば。
村上春樹の小説の中で、きれいな足を持った女の子のことを「あんなにきれいな足を持つのはどんな気分だろう」という感じに描写していて。
自分なら、きれいな足のきれいぶりを語って終わりだ・・・とショックを受ける。
マツコ・デラックスが、怒り新党の三大○○のコーナーで、「すごい髪形」のモデルに挑んだスタッフのひとりのことを、
「あの狂気を含んだ顔にぴったりね〜」と評したとき。
自分なら、デビッド・リンチの映画の登場人物みたい(表面的だよね)と評して終わりだ・・・とショックを受ける。
ずうっと前、友達が、トム・ハンクスの結婚式のときの写真を見たとたん、「あら、トムうれしそ〜」と第一声のコメントをしたとき。
私、トムの「うれしそう」っていう気持ちのことなんて、まるで思いつきもしなかった、とショックを受ける。
ハルキもマツコもトモダチも、すっと人の内部に、「心」に降りていく。
ぽてぽて歩いている幼いコドモを見て、こどもって造形的にかわいい〜と思っている私は、表面的な見かたをするヤツなのである。
部長と面談していて、部長ってド○えもんの中に出てきても、すっとなじむ外観だな〜、ふふふっと思っている私は、そういうヤツなのである。
表層カルチャーに、触れすぎてこうなったからではなく、自分の性質なんだろう。
モノに関しては、表層的でいいかもしれないが、人間に対しては、これではまずい気がする。
ちなみに、何歳だろう?お金持ってそう?と評するのは「現実的」な見かたなんだろうか。
内部に入っていく、心に降りて行く見かたを引き寄せるのが、私の今後のテーマだわ。