減らすもの

どこかへ電話をかけても、生身の人間に、なかなかつながらないことがよくある。
まずは自動音声が流れ、用件別に番号を選んだら、次のナビにすすみ、そこでまた番号を選び、やっと人間につながる。
たいていの国内の会社は、用件が選べない場合は、直接人間につながる番号、いわば非常用扉も用意されているけれど、以前、外資系の銀行に、まだウェブにも告知されていない支店変更があって、その支店への振込をするために支店コードを聞きたかっただけなのに、唯一公開されている電話番号にかけたら、最初にその銀行の所持口座番号を入力しないと、どこにもつながらずそこで立ち往生、という冷たさだった。口座を所持する人間以外は電話をかけてくるな、ってことだろうか。
でも、宅配便の再配達を頼むときは、最初から最後まで自動音声の受付で、それはむしろそのほうが便利だったりする。
昔はこの電話を受けて、目的の人間につなぐ交換手という専門の職業があったんだよね。
そうだ、会社の受付も、専門職だった。
今は、入り口に人間ではなく電話だけが置いてあって、来訪者は一覧から自分で訪問相手に電話をする、という会社もある。
わたし自身も、職場では、人員(人間)を減らせ、人員(人間)を減らす方法を考えろ、人員(人間)が減っても仕事がまわるようにしろ、と何十年も言われつづけていると。
人間がいるって、悪いことなの?と、ふと考えてしまう。
それに、わたしの職場の仕事相手は、人間なのだ。
人間の相手を人間がするって、悪いことなの?
人間相手じゃなくても、りんごをつくる仕事でも微生物の研究をする仕事でも塗料の開発をする仕事でも、どんな仕事でも、途中でどんな非人間的なナビをはさんでも、最終的な到達点は、つながる先は、全部、人間だ。
でも、人間の相手をしているほど、人間はヒマじゃなくて、人間にはもっと、やるべきことがあるということだろうか。
それって、なんなんだろうか。
人間を減らしても仕事がまわる方法を、今も苦闘しながら、考えつづけている。
でも、人間を増やそうと必死な国で生きている。