ヌケのあるストーリー

ある自己啓発的な研修で、決められた六枚の絵のうち、四枚を選んで、四コマストーリーをつくりなさい、という課題があった。
みなそれぞれ違ったストーリーをつくって、どれも面白かったんだけど、一人が意外な作り方をしていた。
たいていの人は、コマ1→2→3→4に至るまで、ストーリーのヌケがない。
コマ1の状況が、次にコマ2の状況に進むって感じ。
ところが、その人は、ヌケがあるストーリーを作ったのだ。
コマ1とコマ2のあいだに、コマ2と3と4のあいだに、絵になっていない、見えていない事件が起こっていた。
それも、ひとがひとり死んだとか、いなくなったとか、そういうレベルの大事件。
その事件があったから、コマ1の状況がコマ2になった、というつくりかた。
その研修から二ヶ月ほどたった今、突如、自分にその記憶がひっかかった。
私は、その人の発想から、すご〜く学ばなきゃいけないことがある。
見たこと、感じたこと、考えたこと、やったこと、学んだこと。
それらは、ぜんぶ、人々から見えるかたちをとっているとは限らないのではないか?
人々から見えないかたちで、あるもの、行われるもの、すすんでいるものが、たっぷりとあるのではないか?
見えない部分で何が行われているか、見えないところに何があるか。
そういうものへの意識が、私には欠けがちなのだ。すぐ、見えるかたちにしようとする傾向がある・・・。
研修で、見えていない部分にストーリーをつくったその人は、食品関係の会社を自営している、つまり経営者(女性)だった。
きっとあの人は、表に見えない部分を、見えないところでどうするかということを、大切にしている。
見える部分の、ウラに、地下に、スキマにこそ、劇的な事件が起こっているということも、たぶん知っている。