映画:リリーのすべて

繊細なひとの、繊細なこころが、語られていく映画だな、ということを、冒頭で悟る。
白い花の咲く木の姿を映しながら、雨のしずくでゆらめいている池の水面や、海からたちのぼる水蒸気や、沼地をつつむ陽射しの白い粒子や。
弱くて、儚くて、うつくしいけれど、傷つきやすくて、ゆらめきつづけている。
でもそのゆらめきがあるからこそ、うつくしいひと。うつくしいこころ。
性同一性障害の主人公、風景画家のアイナーと、肖像画家の妻ゲルダ
初めてアイナーが、男性である自分の身体の中に潜んでいた女性「リリー」として外界を歩いた後、自分の絵の定番のモチーフである沼地の木々を描くシーンがある。
その木々は、ずうっと葉も花もいっさいない冬の木だった。
なのにリリーが誕生した後、アイナーは、木々に緑の葉を描いている。
アイナーの中にいたリリーが芽吹いたあかし。新しい生命が芽吹いたあかし。
自分のインサイドのリリーの存在に気がついたアイナーは、もうアイナーには戻れなくなる。
記録写真的な肖像画を描いていた妻ゲルダは、現実に存在しない身体をもつリリーの姿を描いたとき、はじめて真の肖像画家となる。
人間のアウトサイドではなく、インサイドを描くことを、リリーによって知ったゲルダは、リリーを否定できない。
妻のさがと画家のさがを葛藤させながら、リリーを支えつづけるゲルダの愛に泣く。
映画の中には、繊細な触感があふれている。
繊細な肌触りや、触れ心地を、想起させるよう、連想させるようなこころくばりにあふれている。
その触感が、見るものの気持ちをも優しくさせていく。
窓ガラスをつたう細い雨筋や、バレエ衣装のチュチュの白い重なりや、ベッドの上のレースのリネンのクッションなどの、繊細なマチエールが方々に配された映画の中で。
リリー(アイナー)とゲルダの愛犬、ジャックラッセルテリアの存在もまちがいなく、繊細なマチエールのひとつ。
ゲルダが愛犬を抱いているときの、その短毛の触れごこちや優しい体温のつたわりぐあいを想像し、見るものは、優しいきもちで、繊細なひとの哀しみや喜びを見守ることができるのである。