読み放題っぽい経験

アマゾンの読み放題の経験はしていないけれど、それに似た経験をしている。
それは、六本木ライブラリー。
貸し出しはしていないけれど、書架にある本は、会員ならその場でいくらでも読み放題、というもの。
もちろん、書架の本はいっさい読まずに勉強や仕事をしている人もいるけれど、
私は来るとついつい、最新書架をひとめぐりしてチェックする。
気になる本をどんどん書架から出して、一度に6、7冊自分の席にもってきて、片っ端から読んでいく・・・けれど、数ページ、あるいは、全体をざっとひろい読み、あるいは、部分読みだけして、終了させていく本が、そのうちの九割なのだ。
あ、この本はきっちりじっくり読もう、と思う本が一割。
その一割の本に出会うために、九割の本を通り過ぎている気がする。
ライブラリーの方針は「セレンディピティの提供」らしい。
意図せぬ、偶然の本との出会いだ。
自分で書店や図書館に行ってセレクトするときより、あらかじめ「六本木ライブラリーによるセレクト」という他者の基準で囲い込まれたほうが、意外性と偶然の量は増えるのだ。
意外と偶然が増えたぶん、セレンディピティっぷりも増えるわけだ。
だからね。
読み放題がもたらすのは、セレンディピティではないかと思う。
就職して、自分の生活や意識に無縁だった職場になげこまれて、でもそのなかに思いがけない発見をするかのような感じでもある。
しかしね。
もしも、強制的な他者のセレクトというフィルターがなくて・・・ほぼ無尽蔵な書架が目の前にあったら。
やはり、いつものじぶん基準で選択してしまって、セレンディピティからは遠ざかる気がする。
最近、感じているのは、一割のセレンディピティと出会うために、九割に使う時間が惜しくなってきたこと・・・・。
いっそ、書架をチェックするのはやめて、読み放題とは関係ない、じぶんの作業や勉強をする場として利用したほうがずうっと有意義な気がしている最近である。
・・・・このような流れになる気がするんですよ。アマゾンの読み放題を始めたら。