電灯から松明へ

先週末、勤務先で。
どうしてじぶんがこんなに怒っているのか、理由がわからないくらい怒った。
理由はなんだろう?と考えた。
相手の「わからなさ」「わかってなさ」に怒ったのだった。
まるで、「電灯を松明に戻せ」というような考え方に、怒ったのだった。
二日間、怒っていたのだけど、今朝、通勤電車の中で突如、怒りがひっくりかえる。
電灯を松明に戻すと、じぶんの仕事内容に利益が生まれてしまうことに、とつぜん気がついたのだ。
もしも私が、電灯を松明に戻せ、みたいなことを関係者全員に提案したら、ふくろだたきにあうだろうけど、提案者は、組織のほとんどトップ。
ほとんどトップが言ったことなら、管理職は誰も文句を言わないはず。
出社してさっそく、いいですよ、トップがそう言うんなら、その望み、かなえる方向に動きましょう、と上司に伝える。
だけど突然松明にしたら、他部署が対応できないから、松明にするにも、段階が必要です。
ゼロにしていくにも段階が。
具体的には、「コンピュータでやってることを手作業にしろ」「コンピューターシステムを葬れ」というもので、私は「わかってなさ」に怒りでひっくりかえっていたのだが。
その考え方、本当に、「わかってない」ことなのか?と、このたびは考え込んでしまった。
どちらかというと私は「なくす」ことが得意。
ただ、松明を電灯にすることが、「なくす」ことだと思ってた。
でも、逆をやってみるのもいいかも。
「なくす」前に、やっぱり松明にするのやめて電灯に戻して〜とトップの意見が変わったり、他部署にすがりつかれるなら、それもよし。
こういうとき・・・。
トップが考えを改めるよう、説得や教育をしようとする社員。たとえじぶんが組織的に不利益をこうむっても。
それが最悪の結果を生もうと最善の結果を生もうと、望むとおりやりましょう!という社員。上の考えに従っているのだからじぶんが組織的に不利益になることはない。・・・組織に不利益が出ても。
会社にとってはどっちがいい社員なのか?
わたしはずうっと、前者のほうの社員だった。
でも、後者のほうの仕事のしかたをやってみる。新鮮だから。