サスケとミタニ

昨夜「真田丸」の最終回を見て、寝て、今朝起きたときに、「あ」と気づいたことがあった。
それは、佐助が55歳であるということについて。
最期に信繁に「いくつになった」と聞かれ、「55でございます」「身体中が痛うございます」という佐助。
55歳って、三谷幸喜と同じ年だ・・・。
これ、三谷氏のことなのでは?
信繁から「長いあいだ、いままでよくぞ仕えてくれた」とも言われて。
これは、キャラから脚本家への、ねぎらいの、お礼の言葉なのでは?
佐助。
最初から最期まで、登場人物たちにずっとよりそってきた、陰役。
それはまさに、脚本家のことなのでは?
ときには登場人物に恋もするが、かなう可能性はない。
「佐助」の佐は、人を助けるという意味がある漢字。
同じ意味の漢字に「佑」の字もある。
でも「佐」と「佑」は、同じ助ける役でも、ニュアンスが異なる。
「佑」は、アドバイザー的な意味で、「佐」はアシスタント的。
「佐」のほうが、より、陰役で下役なのだ。
しかもさらに下に「助」がついて、サポートぶり、献身ぶりが強調されているし。
(同じ「佐助」という名前には、谷崎潤一郎の小説「春琴抄」で、春琴を生涯ささえる「佐助」がいる。春琴のほうが完全に上位者であるので、ぜったいに「佑助」ではないのだ。さすが文豪。)
脚本家という存在自体が、登場人物たちの佐助的存在なのかも。
最期に、三谷氏は、じぶんを作品の中に、登場させたんじゃないか。
いや、最期じゃない。最初から、佐助はいた。三谷氏はいた。脚本家はいた。ずっといた。
気づかなかったけれど。陰にいたから。陰役だから。
最期に気づいた。そこにいたの。ずうっとそこにいたの。おつかれさま。
すごーい、ミタニ。
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