さまざまな「すごい」

「すごい」がわかる分野は、人によってぜんぜん違う。
永遠にわからない「すごい」分野も、人によってぜんぜん違う。
「すごい」とわかってもらえなくても、じぶんが「すごい」とわかっていれば、物事はつづけられるだろうか。
永遠に「すごい」とわかってもらえないトップの下に、いるとしたら、どうだろうか。
「すごい」とわかってもらえることは、「評価される」ということだろうか。
評価されなかったら、じぶんはそれをやめるのか。
すごいとじぶんでわかっていたら、わかってくれる人がいたら、評価されなくても、つづけられるだろうか。
さまざまな「すごい」があって、人によってわかる、さまざまな「すごい」があって。
「すごいA」がわかる、ヤマダさんという社員がいて、「すごいB」がわかるサトウさんという社員がいて、社長さんは「すごいA」も「すごいB」も永遠にわからないけれど。
ヤマダさんやサトウさんの、「すごい」を聞いて、こういうのをすごいっていうのか、ふうん、と聞き入れてくれることが、現実味のある未来だろうか。

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