不幸の免疫 その1

23歳のときだった。
朝、目覚めると、丁度会社の始業時間だった。
つまり、寝過ごした。
大学を卒業後、最初に就職した勤務先は、勤務時間の一部振替を原則認めない会社だった。
つまり、個人の都合による早退・遅刻が必要なら、その日は有給休暇をとるしかないということ。
今思うと、なんて不便な状態なんだろう、とその会社に何十年も勤続している人を、ある意味尊敬してしまうのであるが。
寝過ごした、という理由を言ってもマイナスの効果しかないから、いっそ病欠と告げておこ、と決め、勤務先に電話連絡。
さて、病気なわけじゃないので、身体は朝寝プラスで、十分元気になった。
せっかくだから「平日に突如得た休日」を楽しく過ごさねば!
一人で出かけてもいいけれど、誰かに会おうかなあ。
しかし知り合いといえば、同級生ばかり。みんな平日は仕事のはずだ。
当時、彼がいたのだが、当然彼も仕事である。
アドレス帳をつらつら見ていると、ある人の名前が目についた。
同級生で、サークル仲間のU君。
U君とは、学校にいる間話をすることはあったけれど、ものすごく仲が良いというわけではなかった。
そのときU君の名前が目についたのは、別の理由による。
三年生まで、姿を見せていたU君が、四年生になったころから、サークルでも学校でもあまり見かけなくなり、結局就職も卒業もせずに大学に残ることになった、と人づてに聞いていた。
まだ学生ということは、平日に会える時間があるかもしれない、と私ときたらU君に対してそんな失礼な理由で、すぐにU君の家に電話をかけたのだった。
ちなみに、私はU君に一度も電話をしたことがない。このときに初めて電話をした。
最初にU君のお母さんが電話に出て、U君に取り次いでくれた。
今日、休日をとるんだけど、よかったら会わない?
と言う私の用件に、U君はたぶん驚き、かつ、めんくらっていたと思う。
話し方も態度も穏やかな人だったので、そういう感情も表には出さない人だったけど、たぶん、そうだったと思う。
私自身も、なぜ自分がこういう行為に出ているのか、よくわからないままだったから、U君はさぞや驚き、わけがわからなかっただろう。
都合が悪いと断られてもまったくかまわなかったのだが、いつも紳士的なU君は、断らなかった。
しかし、別件で用事があるから、会う時間は午後4時頃じゃないと…と希望。
その時間までは、自分ひとりの休日をすごしていればいいし、と思って、じゃ、新宿の紀伊国屋書店の入り口前で午後4時、と約束した。
U君は、五反田で用事があるから、と言っていた。
さて出かけよう、と外に出た私は、なぜか自分も、五反田に行く用事を思い出す。
何の用事だったのか、今ではまあったく、思い出せない。
が、とにかく私は、五反田に行き、ひょっとしたら近くにU君がいるのかもしれないなあ、なんて思いながら、その後、新宿に向かった。
その日のU君との縁のようなものが…作用していたのかなあ、私に。今になって、そう思ったりする。
午後4時、新宿、紀伊国屋書店前。
奇妙なことに、私はそのとき自分がどんな服装をしていたか、細かく覚えている。
どうでもいいことを写真をとるように記憶していることがたまにあるけれど、このときはそれは、自分の服装だった。
服装だけではなく、持っていたバッグ、靴と、ヘアバレッタまで覚えている。二十年以上前のことなのに。
約束の時間を40分過ぎても、U君は現れなかった。
1時間まで待ったところで、あきらめた。
怒りはなかった。むしろ、U君を無理に誘ってしまったのかもしれない、悪いことしちゃったかなあ、という気持ちの方が強かった。
その日の夜に就寝するころには、私はU君のことをもう忘れかけていた。
さて、翌日。
勤務先に出社すると、同期はみんな心配顔。
昨日、病欠したと信じきっているからである。
コーヒーのセッティングまで、代わりにやってくれようとする。
す、すみません…余分に眠りたい程度に疲労していただけで、出かけてました、私、と内心で謝罪。
心中謝罪の連続で、その日の勤務を終え、帰宅し。
深夜12時近くに、電話が鳴った。
大学のサークル仲間の同級生だった女の子からだった。
「U君が」
という第一声。
「昨日、亡くなったの」
つづく。