ニッチな環世界

前記事のつづき。
「哲子の部屋」の書籍版を読んで、これは実生活に活かせそうで面白い!と思った、もうひとつのものは「環世界」である。
ネーミングはしっくりこないけれど、その意味はとても腑に落ちるもの。
誰もが持つ、それぞれが生きている異なる時間と空間のこと。
学びのチカラで、その人の環世界が変わると、同じ物事に対しても新しい情報や刺激を受け取れるようになり、人生をどんどん豊かにし、楽しめるようになる。
「哲子の部屋」では、ミッション・インポッシブルの初代のテレビ版のテーマ曲と、トム・クルーズ主演の映画版のテーマ曲を聴き比べて、違いがわかるかどうかが、ある環世界を備えているかどうか、のものさしになってた。
聴いても違いがわからない人、わかる人がいて、どういう違いかというと、(たしか)初代は五拍子、映画版は四拍子なんだって。
音楽方面の環世界を備えている人は、この違いがすぐわかるけれど、その環世界を備えていない人は、違いがわからない…ひとつの例。
同じものを見たり、聴いたり、行っていても、どんな環世界を備えているかどうかで、知覚できるものがぜんぜん違ってくるってことだ。
ここ数年で私が遭遇した環世界な経験は、公開当時とDVDで四回は見た映画「ノッティング・ヒルの恋人」が、NHKBSで放映されたときに見ていたら、四回見てもまるで見えていなかったものが、どんどん見えてきて驚いた、ってことが、間違いなくそれにあたる。(2014/6/03「ジュリアに学ぶ上品見せテク」)
着物に近寄りはじめてからは、時代劇含め、テレビで着物姿が出てくると、かぶりつきで見る楽しさが加わってきたし、着るものに夢中になるって、時代が時代ならそれだけで虚栄の罪に問われかねない愚かなことかもしれないけれど、新しい環世界を手にいれていることかもしれないんだわ。(と自己弁護)
ちなみに、盲導犬の教育は、犬に、人間の環世界を身につけさせることを意味するんだそうだ。
社会の中の設備や仕組みは、メジャーな環世界を基準にしてつくられているのがふつうで、そこからはずれたタイプの環世界はマイノリティなものとなる。
となると、隙間市場=ニッチなサービス、ニッチな商品をつくるヒントは、無視されている環世界を見つけ出すことなのかも。
そういえば、日本の年金制度について、十年くらい前にざっと概略を学んだことがあったが。
日本の年金制度に設定された、メジャーな環世界は、「二十五年以上会社に勤務しつづけ、奥さんは専業主婦」というサラリーマンなんだなあと思った。違ってる?その認識?
ちゃんと調べたわけじゃないけれど、フランスの年金制度は、一番年収が高かった年を基準にして年金金額が決まる、というものらしくて、それなら一生会社員やってなくても、突如、風来坊的な冒険に出る勇気が出そうだな、なんて思ったものだった。