007 スペクター Spectre

いいなあ。
思い切りゴージャスなものを、たくさん見せてくれる。
風景も、人間も、モノも、カルチャーも、技術も。
ゴージャスな007シリーズが、手の届く娯楽として楽しめる今の時代に、ワタシ生きていて良かったなあ。
「MI6にダブルオーセクションはもう必要ない。スパイも殺しもドローンにやらせればいい」という上層部Cに対して、007の上司Mのセリフが、今作の精神的な流れを示しているようで、いい。
「ダブルオーは、殺すかもしれない人間のことをあらかじめ徹底的に調べ、最後はその人間の目を見て、殺すか殺さないか決める。殺す許可証は、殺さない許可証でもあるんだ。ドローンにその判断ができるか」
ダブルオーは、人間を「観る人」、人間を「観る力」に長けた人...。
ジェームズ・ボンドダニエル・クレイグ)は、「観る人」である。
ということに気がついたとき、ワタシ今作でやーっと、ボンドガールとのラブアフェアーを見直した。
今まで、ボンドガールのラブアフェアーは、水戸黄門のラストシーンのように、007シリーズのクルマや腕時計と同じ扱いの、お約束のサービスアイテムだと思っていた。
でも、今作のボンドは、まず、その女性が愛(行きずりでも)を必要としているかどうか、を見極めようとしている。
ボンド・ガールである、モニカ・ベルッチも、レア・セドゥ(中森明菜似)も、彼女たちの情報データを携えたうえで、実物を目の前にしたとき、まずボンドは、彼女たちを観察する。外面ではなく内面を観ようとする。外面の情報なら、もうたっぷり持っているけれど、内面の情報は、じかに見ないと、感じないと、つかめない。
その「観る時間」、いいなあ。
「観る人」という役割がとても似合う、ダニエル・クレイグの水底のようなブルー・アイズ、いいなあ。
また、クレイグの、歩行姿の美しさも、いいなあ。
特に、冒頭で、彼の歩行姿(とんでもない風景の中で歩いているんだが)の美しさ、堪能できるよ。
もはや「007」というだけで、世界中の「いいもの」が参加しに、集まってくるんだろう。
素敵な俳優も、味のある悪役も、ちがった美しさを備えた女優も、監督も、美術も、音楽も、衣装も、アクションも、さまざまな技術も、一級のセンスも。
ロケ地だって、「007」のロケに使いたい?どーぞどーぞっ!って感じかもしれない。
ということは、これから先も、007シリーズは、ゴージャスが増幅していくよ。